IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

とあるベンチャーのひどい真実とこれからのこと・その3

前回からの続き。

さてその頃、自分を含めた主要なメンバーを集めて、社長が何度も話し合いの場が開いた。
出席するメンバーは10人近くもいたのだが、あいにくと当時のオフィスにはそれだけの人数が人目を避けて話しができるようなスペースはなくて、大抵の場合、近くのイタリアン居酒屋ともいうべき飲み屋の個室を使わせてもらっていた。まだ店が開店するかどうかという時分になると、出席者全員でぞろぞろと出かけていく。店員はいつも見るからに迷惑そうだったので、せめてもの償いにと唐揚げやらピザやらをどっさりと頼み、仕事の最中なのでウーロン茶やらコーヒーやら気分だけのノンアルコールビールなどを飲みながら話をするわけだ。カロリー過多、暗い話題、増える体重。

シュールである。

考えてみると、小さな会社でリーダー全員が夕方頃になると毎日のようにごっそりといなくなり、しかも出かけている先は飲み屋で、だけど一滴も酒を飲まずに皆一様に渋い顔をして戻ってくるわけだから、オフィスに残っていたメンバーはどんな心境だったんだろうか、と今になって思う。

話し合いの席で口火を切るのも大抵は社長で、内容も決まって、自分が会社をどのようにしていきたいか、という論旨だった。こういう会社にしたい、こういうふうに事業を進めていきたい、こういう人が会社の仲間であってほしい、こういうふうに社員の仕事を評価したい、などなど。そして、それについてどう思うか、ひとりひとりに意見を聞いていった。積極的に賛同する人間もいれば、消極的な反応をする人、懸念を示す人、ひるまず反対意見を言う人、反応は様々だったが、社長は一通りの意見を聞いてからまた自分の考えを話した。

そのときの議事録を読み返してみると、よくまあこんなにいろいろ話したな、という印象だ。マネジメントや採用や評価、社内の行動規範などにも議題は及んだ。そういった話し合いの中で、社長は会社のリーダーはこの自分だと、言葉と態度の両方で何度も繰り返し示そうとしていた。一度などは激高して「社長はぼくです!」と幹部に詰め寄ったことさえある。今振り返ってみると変な話でたしかに彼は社長だし、その場の皆がそのことを知っているのに、そのように感情的にならずにいられなかったということは、やはり当時は彼も必死だったんだろうな、と思う。

実際、当時の会社は乗り物に例えるなら、前にも後ろにも進めないバスのようなものだった。誰かがアクセルを踏んだかと思えば、別の誰かがブレーキを踏む。右に曲がろうとしたら、他の誰かがハンドルを左に切る。
それまでだって最高に快適な乗り心地とはいえない状態が長く続いていて、脱落者(さらに言うなら犠牲者)まで出ている有様なのに、今はフルパワーで立ち往生しているのだ。ベンチャーの強みはアジリティ? 悪い冗談にしか聞こえない。

社長は一度は他人にゆずった運転席に、再度自分が乗り込む意思を伝え、バスの行き先がどこに向かうのか皆に理解させようとしていた。そして、もしも行き先が気に食わないのであれば、もう一緒にはいられないということも。
皆の表情は神妙半分、うんざり半分という感じだった。自分など表面は神妙そうにしていて、内心は「やれやれ、また社長が面倒なことを言い始めたぞ」くらいな気持ちだったので、あるいは全員がうんざりモードだった可能性が高い。大変だな、社長。

それからしばらくして、実際に何人かが立て続けに会社を去っていった。

「要は自分の会社だから自分の思うようにやりたいってことだろ? ならオレがここにいる理由はない」
さばさばとした表情でそう言い残し、去っていった人もいた。
彼らはみな賢明な判断をしたと言えるし、そして決断力も実行力もある人達だった。

一方、自分はなんとなく残る側に回った。
動かないバスが目的地に辿りつく可能性はゼロだ。が、動き出しさえすれば前方にどんな悪路があろうが、運転がどれほど下手くそだろうが、可能性はゼロではなくなる。今回の変化によって会社がどんな行く末にたどり着くのか見てみたい、というのが自分が会社に残った、わりとマシなほうの理由のひとつだ。ちなみにひどい理由のほうは、単純にアレコレ考えるのが面倒くさかっただけだ。

そんなわけで会社は新しい体制で出直すことになったのだが、やっぱり長くなったのでこの先の顛末はまた後日。