IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

ダラダラすることの甘美さと良い休日について

今週の土日は思いっきりダラダラして過ごしました。そう、過ごしてしまった。以下、休日にやったこと。

・昼近くまでたっぷり睡眠。
・嫁のための仕事用の椅子を組み立てた(ちょっと肉体労働)。
・昔買ったゲームソフト(BIO HAZARD5)を引っ張りだして数時間プレイ。
・夕焼けを見ながら散歩しつつ、夜飲むための日本酒を買いにいく。
・嫁が作った天ぷらを食べ、冷えた日本酒とビールをいただく。
・映画(エクスペンダブルズと刑事ジョンブック)を立て続けに見る。ジェイソン・ステイサムと若い頃のハリソン・フォードがかっちょえー!
・このブログを書く。
※ そして、このブログを書く手を時々止め、窓の向こうの青空と白い雲を見ながら、まだ休日が半日も残っていると考えてニヤニヤしている。

はい、ほとんど生産的なことはしていません(キリッ)
ハードワークがデフォのベンチャー領域の住人としてはこういった時間の使い方、本来ならば罪悪感を感じて然るべきところですが、むしろ逆に最高に充実した気分を味わえたんでございます。何故でしょう?

若い頃、休日を無為に過ごした挙げ句に、日曜夕方のサザエさんのテーマを聞いた日には、思わず人生に絶望し多摩川まで全力疾走して身を投げたくなったものですが、現在のこの心の落ち着きようはどうだ。いったい何が変わったのかしらん。*1

というわけで、その辺りを含め、ちょっと休日の効用について考えてみましたよ。

良い仕事が良い休日を作る。逆もまた然り

若い頃と圧倒的に比べて違うのは、休日以外の時間の使い方でしょうね。
つまりは仕事をしているか、していないか。もっと言えば、良い仕事をしているか、していないかの違い。

良い仕事の定義は人それぞれでしょうが、私の場合は次のすべてを条件を満たしたら、まあ、それは良い仕事だと言えるんじゃあるまいか。

・自身が楽しみ、充実している。
・個人、組織の両面で成果が上がる。
・仕事のゴールに社会的な意義や価値を感じる。

私は高校を卒業してから、いろいろな職業を経験しましたが、世の中って上記のすべてを感じさせてくれる職場ってそうそうないんですよね。

たとえばパチンコ屋で「ジャンジャンバリバリとー! お出し下さいませ、お取り下さいませーっ!」とアナウンスしていた時なんか、その一瞬はノリノリでけっこう楽しい気分になるんですが、まー正直、社会的な意義なんてまったく感じられませんよね。
ましてや、そのスジの方に首根っこ掴まれて、「この台、ちっとも出ねえじゃねえか、お前んとこの店、釘*2締め過ぎちゃうんか、ボケえっ!!」と脅し付けられてヒイイイイイイっとなった日など楽しい気分になれるはずもなく。

本屋で仕事をしていた時は、自分が本好きだったこともあって「本を売る」という仕事に強く意義を感じてはいたんですが、本屋さんの売り上げはその頃からずっと業界を通じて右肩下がり。
いつかはヘッセのように、本を売りながら自分の本を書く、と夢見ていた私ですが、自分自身で業界の現実を目の当たりにして、いろんなものが揺らぎましたよ。年々厳しくなる状況に頭を抱える店長や、一生涯、本屋でいるために結婚をあきらめた大卒の社員さんとか見てたら、正直、希望なんて持てません・・・。
余談ですが、いつだったか久しぶりに田町に出向き、自分が働いていた本屋がなくなっていたのを知ったときの心の痛さと言ったら・・・。

本屋は好きな仕事だったし、楽しくもありましたが、それでも仕事として成果が出なくてはどうしようもありません。
人間、日々働くためには希望が必要で、成果はその希望を補強してくれますから。

またまた余談ですが、出会い系サイトのサクラをやった時なんか、楽しくもなく、自分の営業成果も上がらず、社会的意義なんかコレっぽちも感じられない、というまさにパーフェクトな職場環境でした。この場を借りて、貴重な職場体験を提供して下さった関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。あなた方の頭上に、さっさと隕石が落ちてくればいいのに!

ともあれ、話を元に戻すと、こういった仕事の日々の後にやってくる休日を無為に過ごすとですね、「自分はいったい何のために生きているのか」といったキルケゴール的、『死に至る病』的な絶望に駆られる訳ですよ。*3

一方、日々の仕事が楽しく充実していて、成果も上がっていて、かつその社会的意義も感じられるって場合*4は、休日の味わいがまるで変わってくる。『何もしない』という時間が、ものすごく大切で、ゆったりとした幸福なものに感じられるんですよ。

アップテンポで平日を走りきり、次の週に備えるために呼吸を整える。
あー、休日ってこういうものだったよね、という感覚が久しぶりに蘇ってきたわけですよ。

なんだか書いているうちに、星新一の『あすは休日』というショートショートを思い出したので、後で読み返そうw

休日とはマインドセットと深呼吸

休日 = 働かない日、では必ずしもない、と思うんですよね。
家に帰って眠っているときも休日の一部なのか、風邪を引いて家で寝込んでいる時も休日なのか、と言うとちょっと違う気がする。
ただ頭や体を休めるのは、休日の効用の一部でしかないんじゃないか、と。

普段の仕事の場合、自然と一定の文脈やら方向性の中で考えたり、行動するように様々な形で圧力が働きますが、休日は、そういった文脈やら圧力やらから自由になって、頭を切り替えるための貴重な機会だと思うんですよ。

人生には限りがあるってことを考えたり、
宇宙の果てしない広さを想像したり、
沈む夕日を眺めたり、
少年時代の思い出だったり、
家族や恋人の手を握りしめたり、

もうね、休日を有意義に過ごそう、なんて貧しい考えは捨てましょう。
『有意義に過ごそう』という思いからして、すでに休日のマインドセットからはほど遠い。というより、それは不健全と言っていい。

休日には、心を自由にして、ただ深い呼吸をしましょうよ。
精神的にも、肉体的にもね。

生存競争と休日と人間らしさ

当然ながら自然界には、休日などありゃしません。
例えば、サバンナのライオンがですね、「今日は休日だから仕事をするのヤメ」とか言い始めて終日、草原に寝転がっていたとしたら、腹が減るだけです。ましてや、「有給がたまっているので、ちょっくら1週間休んで消化しますわー」などと言おうものなら、数日にして餓死ですよ、餓死。

かように休日とは人間の発明に他ならないのですが、その人間界においても自然界と同様、生存競争とは無縁ではありません。

というわけで、生存競争的、というより業界競争的、会社都合的には「24時間365日、死ぬまで働け」的な発想がまかり通るのは、ある程度は仕方がないと思うんですが、どうもこの辺り、勤勉な人間性と低い生産性では定評のある日本社会の限界と言いますか、一皮ムケ切らない原因のように思えてなりませんよ。

「24時間365日、死ぬまで働け」的な発想の裏には、会社やら組織やらといったシステムの稼働率をいかに高めて、収益を高めようという意図があるわけですが、最終的に人間不在で済むシステムであれば、すべて機械化、自動化に置き換えてしまえばすむ話じゃないですか。つまり、人間は休んでいいのです。

もしもその仕事、会社、組織、そのシステムに"人間"が必要不可欠であるならば、そのシステムの構成要素である人々が、どういったことに幸福を覚えるか、どういった時にすばらしい発想を得るか、どういう時に仕事に喜びを覚えるのか、そういった『人間らしさ』に対する理解が必要だと思うんですよ。

そういった一人一人の『人間らしさ』が素晴らしい仕事を生み出し、ビジネスとしての価値を生み、会社や組織が偉大な目標を達成していく、という状況を生み出したいのであれば、休日に対する無理解などナンセンスです。
だって、休日ってのは、人間らしさの固まりみたいなもんじゃないですか。

グレートに働いて、グレートに休む。
日本が、もっとそんな社会になればいいのに。

最後に

休日中に、休日についてアレコレと考えたらけっこう面白かったので文章にしてみました。

日本人はよく働き過ぎと言われますが、よく働くことは別に悪でも何でもないと思うのですよ。
しかし昔と違って、現代の日本では、"ただ"よく働くだけではもはや価値を生み出しにくい。
日本人の勤勉さが高度なサービスを次々と生み出したせいで、ただ勤勉であるだけでは価値にならない、というこの矛盾。

だったら、ちゃんと休んで、自分の人生をひっくるめて仕事の価値って何なのか、ちゃんと考える時間を持った方がよいな、と考えた次第です。

もちろん、もうすぐ飢え死ぬってときに寝転がっているなど愚の極みですが、サバンナのライオンだって死に物狂いで狩りをしてようやく獲物にありつけた夜、眠りの甘さ、命の甘美さを噛み締めながら眠るのでしょうし、その甘美さを味わうために生きているんじゃないかしらん。

人間に置き換えれば、それは休日の甘美さ。
良い休日が、良い仕事を作り、良い人生を作る、ってなもんですよ。
それに神様だって、1日は休んだんですからね。世界を作るときに。

明日からまた仕事ですが、頑張って働きますか。
また、ダラダラとした休日の甘さを味わうために。

*1:いよいよ不惑に近づきつつある年齢のせいだけではないと思いたい。なにしろ私の精神年齢は18くらい(絶対)。ピッチピチDEATH!!

*2:余談ですが、パチンコ屋では釘師と呼ばれる方にパチンコ台のひとつひとつをきっちり調整してもらっていて、どれくらいの確率で当たりを出すか、かなり高い精度で調整しているんですよね。ちなみにその店では釘師さんが「店長さん、こんなに締めたらお客がよそに流れちゃうよ」と愚痴をこぼすぐらい締めてましたw

*3:ちなみにこの本はプラトンの『国家』と並んで、カッとなって買ったけども読んでいない本の代表例

*4:ちなみにトークノートという会社で働いています。