IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

とあるベンチャーのひどい真実とこれからのこと・その3

前回からの続き。

さてその頃、自分を含めた主要なメンバーを集めて、社長が何度も話し合いの場が開いた。
出席するメンバーは10人近くもいたのだが、あいにくと当時のオフィスにはそれだけの人数が人目を避けて話しができるようなスペースはなくて、大抵の場合、近くのイタリアン居酒屋ともいうべき飲み屋の個室を使わせてもらっていた。まだ店が開店するかどうかという時分になると、出席者全員でぞろぞろと出かけていく。店員はいつも見るからに迷惑そうだったので、せめてもの償いにと唐揚げやらピザやらをどっさりと頼み、仕事の最中なのでウーロン茶やらコーヒーやら気分だけのノンアルコールビールなどを飲みながら話をするわけだ。カロリー過多、暗い話題、増える体重。

シュールである。

考えてみると、小さな会社でリーダー全員が夕方頃になると毎日のようにごっそりといなくなり、しかも出かけている先は飲み屋で、だけど一滴も酒を飲まずに皆一様に渋い顔をして戻ってくるわけだから、オフィスに残っていたメンバーはどんな心境だったんだろうか、と今になって思う。

話し合いの席で口火を切るのも大抵は社長で、内容も決まって、自分が会社をどのようにしていきたいか、という論旨だった。こういう会社にしたい、こういうふうに事業を進めていきたい、こういう人が会社の仲間であってほしい、こういうふうに社員の仕事を評価したい、などなど。そして、それについてどう思うか、ひとりひとりに意見を聞いていった。積極的に賛同する人間もいれば、消極的な反応をする人、懸念を示す人、ひるまず反対意見を言う人、反応は様々だったが、社長は一通りの意見を聞いてからまた自分の考えを話した。

そのときの議事録を読み返してみると、よくまあこんなにいろいろ話したな、という印象だ。マネジメントや採用や評価、社内の行動規範などにも議題は及んだ。そういった話し合いの中で、社長は会社のリーダーはこの自分だと、言葉と態度の両方で何度も繰り返し示そうとしていた。一度などは激高して「社長はぼくです!」と幹部に詰め寄ったことさえある。今振り返ってみると変な話でたしかに彼は社長だし、その場の皆がそのことを知っているのに、そのように感情的にならずにいられなかったということは、やはり当時は彼も必死だったんだろうな、と思う。

実際、当時の会社は乗り物に例えるなら、前にも後ろにも進めないバスのようなものだった。誰かがアクセルを踏んだかと思えば、別の誰かがブレーキを踏む。右に曲がろうとしたら、他の誰かがハンドルを左に切る。
それまでだって最高に快適な乗り心地とはいえない状態が長く続いていて、脱落者(さらに言うなら犠牲者)まで出ている有様なのに、今はフルパワーで立ち往生しているのだ。ベンチャーの強みはアジリティ? 悪い冗談にしか聞こえない。

社長は一度は他人にゆずった運転席に、再度自分が乗り込む意思を伝え、バスの行き先がどこに向かうのか皆に理解させようとしていた。そして、もしも行き先が気に食わないのであれば、もう一緒にはいられないということも。
皆の表情は神妙半分、うんざり半分という感じだった。自分など表面は神妙そうにしていて、内心は「やれやれ、また社長が面倒なことを言い始めたぞ」くらいな気持ちだったので、あるいは全員がうんざりモードだった可能性が高い。大変だな、社長。

それからしばらくして、実際に何人かが立て続けに会社を去っていった。

「要は自分の会社だから自分の思うようにやりたいってことだろ? ならオレがここにいる理由はない」
さばさばとした表情でそう言い残し、去っていった人もいた。
彼らはみな賢明な判断をしたと言えるし、そして決断力も実行力もある人達だった。

一方、自分はなんとなく残る側に回った。
動かないバスが目的地に辿りつく可能性はゼロだ。が、動き出しさえすれば前方にどんな悪路があろうが、運転がどれほど下手くそだろうが、可能性はゼロではなくなる。今回の変化によって会社がどんな行く末にたどり着くのか見てみたい、というのが自分が会社に残った、わりとマシなほうの理由のひとつだ。ちなみにひどい理由のほうは、単純にアレコレ考えるのが面倒くさかっただけだ。

そんなわけで会社は新しい体制で出直すことになったのだが、やっぱり長くなったのでこの先の顛末はまた後日。

とあるベンチャーのひどい真実とこれからのこと・その2

前回からの続き。

とりあえず一週間ほど休みをもらったが、その間は軽い廃人状態だった。
まず朝、布団の上で目を覚ますと、毛布にくるまったままリビングのソファに移動。
そのまま日がな一日を過ごし、眠くなったらまた布団に移動する。だいたいそんな毎日。

とりあえず省エネ、省気力モードの生活が功を奏したのか、一週間もしたら特に問題なく会社にいくことができたが、もっと思い詰めるタイプの性格だったらそのまま鬱になっていたかもしれない。

もうひとつ鬱にならずに済んだのは、12歳も年下の若手でデキるヤツを代わりにリーダーに指名して、自分はさっさと一介のプログラマーとして彼の配下に収まってしまったことが大きかった。リーダーとメンバーで選手交代。まあ交代というより、ただ自分が仕事を投げ出し、彼に押し付けただけに過ぎない。無責任にもほどがあるが、その彼が役目を引き受けてくれた時は本当にホッとした。
ちなみに彼は今でも開発のリーダー職を立派に努めているし、今でも自分がもっとも信頼する仲間の一人だ。

ちょっと話はそれるが、プログラマーという仕事は本当に楽しいものだと思う。
人生がうまくいかないと感じるとき、周囲の出来事の大部分が自分のコントロールから外れてしまっていると感じるときでも、コードを書き進めている間は確かに何かを成し遂げているような実感が得られる。
たとえそれが幻想だったとしても、今一度自分自身の操縦桿をしっかりと握り直さなくてはならない時期にはいいリハビリになった気がする。
プログラミングが好きでよかった。

自分が鬱っぽくなった頃はちょうど、新しく入社してくる人だけではなく、以前からいるメンバーが次々と体調を崩したり、突然に会社へこなくなったりといった異変が続いた時期だった。何かがちょっとずつ壊れている。会社にいる全員がそれがわかっているが、誰もそのことを表立って口に出したりはしない。いや堂々と口に出す人もいたが、そういう奴は物事もよく見えるし、行動力もあるタイプなので、さっさと会社に愛想を尽かして出て行ってしまう。

ベンチャーあるある出来事が、盆と正月、カモと長ネギのセットになって一挙に押し寄せてきたような有様だった。
世の中には変な人間もいるもので「うおおお! 本に書いてある通りに問題が再現されていく!!」などと斜め45度なセリフを口にしながら、はしゃいでいるようなヤツもいて、ひどく呆れたのを今でも覚えている。

まさにカオス。

なお、自分は職場復帰してから数ヶ月もすると、一意専心に低空飛行状態を続けていた甲斐もあって、肉体的にも精神的にもだいぶ回復することができた。今になって思うが、その時期に一切の無理をせず、残業もせず、ただ気力/体力の回復に努めたのは大正解だった、と思う。その時点で無理していたら、さすがにその後の状況変化でポッキリと折れてしまっていたかもしれない。
まあ、その話はまた後日。

ともあれ、その頃になると社長は頻繁に主要なメンバーを集めて、話し合いをするようになった。
そして、そのときの議題はいつも決まっていた。

誰がこのままバスに残り、一緒に先へ進んでいくのか。
そして、誰がこのバスを去るべきなのか?

長くなってきたし、もう眠いので、続きはまた次回。

とあるベンチャーのひどい真実とこれからのこと・その1

ブログを数年ぶりに書くことにした。

前回書いたのが2年前の9月。今日までの間、何度か書こうとも思ったけど精神的に無理だった。
悪いことが現在進行形で起こっている最中にそれを文章にして再確認をするなんて、正直とても耐えられるものじゃない。

それでも今になって文章にしようと思ったのは、やはりここ数年で起こったことを自分なりに整理をつけたいと思った、というのが理由としてひとつある。理由はもうひとつあるが、それは後で書く。

なにも嵐が過ぎ去ったから、というわけではなくて、むしろまだど真ん中なわけだが、ひとまず現状を記録しておきたい、という欲求に駆られて久しぶりに自分の言葉をキーに打ち込んでいるというわけだ。

その前に前提条件。
知っている人は知っているが自分はあるベンチャー企業でエンジニアとして働いていて、入社して今年で4年目になる。

まあ、ぶっちゃけて言うと散々な4年間だった。

まず自分が入社してからしばらくもしないうちに、次々に人がやめていった。
それも必ず社長の側にいる人からやめていく。

それぞれが皆、すごく優秀な人たちばかりで、だからこそ社長は信頼して自分のパートナーのように扱い、責任のある仕事をまかせるのだけど、これがまあ悉く上手くいかない。

まずお互いのコミュニケーションがまったく噛み合わない。
同じ部屋にいて同じ日本語を話しているはずの二人なのに、傍目から見ていると、さながら防音ガラスの壁で互いに隔離されているような有様だった。

結局、お互いに「なんで自分の言うことを分かってもらえないんだろう」というフラストレーションを抱えたまま、関係性が壊れていく。
で、離職。

そんなこんなで自分は当時5人目くらいの社員だったのに、あれよあれよと言う間に最古参ということになってしまった。
ちなみにウチの社内では、自分はいまや41歳にしてすっかりモーロク爺さんキャラが定着している。ジジイとフジイだ。いや、別にそんなことはどうでもいい。

ともあれ入ったばかりの会社で離職が相次ぎ、まさに崩壊の危機。
当時、ウチの社長もひどく悩んだようだ。
話は変わるが、ウチの社長はわりと男前の顔立ちをしていて、世間一般の基準から見ても外見はいいほうだろう。本人もプロフィールに堂々と"イケメン"と書き込むくらいだが、正直、自分にはこういう神経がわからない。
で、当時はその社長の顔が顔面神経症みたいにヒクヒクするのをよく見た。不随意運動というやつだ。

そして、ついには社長を辞める、と言い出した。
そのことについて社長に意見を求められたので、自分は「あ、辞めたほうがいいっすね」と答えた。
ガチに悲しい顔をされた。

結局、社長はやめずに自分の代わりに組織をマネジメントをしてくれる人を外部から連れてくることにした。
自分にはマネジメントはできない、代わりに経営チームを作り、協力体制を築いて会社を引っ張っていこうとしたのだ。
が、これもそれほど時間もたたないうちに雲行きが怪しくなった。

この頃の会社の雰囲気は最悪で、全体的にみんなの顔が暗かった。そして業務量が急激に増え始め、とにかく忙しいのに成果として結びついている実感がさっぱり、という状態がずっと続いた。

ちなみに雰囲気が悪いとか、顔が暗い、などというのは自分の解釈に過ぎないので、何よりもそう見えた自分の心理状態が最悪だったんだろうと、今になって思う。

仕事の量も正確には、自分が必要性を感じない、雑用と思えるような仕事が増えただけで、労働時間が増えた、というわけじゃなかった。
むしろ入社した直後は休日も仕事をしていたので、単純な労働時間でいえば改善傾向にあったと言えるけど、それでもなんとも息の詰まるような忙しさが自分の心を押し潰していくような気持ちだった。

また、この頃は入社しても数ヶ月もすると退職してしまう人が何人もいた。
ひどい話だが、新しく入社してきた人が最初の挨拶でどんなことを話すのか、その内容を聞いて「あ、こいつは数ヶ月もするとやめてしまうだろうな」とか「あ、こいつはしばらくは持ちこたえそうだな」なんてことを当時の自分は心の中で値踏みしていた。真面目そうだったり、大人しそうだったり、当たり障りのなさそうな内容で挨拶する人は、大体みな消えていく。

そんな自分もその頃から何度も"退職"の二文字が頭をよぎるようになった。
以前ベンチャーという難易度の高い環境の中で、あまりにあっさりと諦めてしまったことを後悔してきたこともあって、今度はそう簡単に諦めない、とずっと思ってはいるのだが、それでも毎日毎日何かしら「めんどくせー、もう辞めちまうか」と思うような出来事に遭遇するのだ。
もう辞めるか、それとも、もう少しだけ続けようか。そんな自問自答をひどい時には15秒に1回くらいは繰り返していた気がする。

ある時、自社の株を買うかどうか決める時も、嫁さんに二人の貯金からお金を出してもらう必要があって「大丈夫! 会社は絶対辞めないから!」と大見得を切って納得してもらった。自分としては辞めない理由を一つでも多く作りたかったという気持ちがあったのだが、1ヶ月もしないうちに「もうオレは会社をやめる! 明日、社長に話してくる!」と言い出して、嫁さんがカンカンになる、という出来事もあった。

もちろん、そんな状況でも毎日元気に仕事をしたり、なんとなく馴染んでしまう戦国時代向きの人もいたけど、人がなかなか増えなかったり、むしろ辞めていってしまう、というのは事業的にも、個人的・精神的にもストレスの多い状況だった。

そういったストレスの源泉は、やはり経営する人たちの体制が上手く機能していなかったことにあると思う。
なぜ機能しなかったのか? 自分もチームの隅に置かせてもらっていたので、他人に責任を押しつけて文句をいう気にはなれないが、一言で言えばチームの中で本当の意味での協力体制、信頼関係といったものが構築できなかった、というのがずっと状況を見ていて、自分なりに考えて出した結論だ。

ある意味で救いがないのが、そこにいる人々が皆それぞれで会社の状況をなんとかしたいと真剣に考え、悩んでいたということだ。悩んでいた度合いで言ったら、自分なんか会社の下から数えたほうが早い、とさえ思えるくらいだ。それほどまで皆が真剣に考えているのに、会社全体でみると足取りがバラバラで、中にいる人たちをこれほど苦しめてしまう、というのは中々に悲劇的と言っていいと思う。

この数年間で自分にとって最も大きな学びは、シビアな状況の中にあってはどれほど優秀であったり、情熱がある人々であったとしても真に信頼関係のチームを作り出す、というのは本当に、本当に難しい、ということだ。

強調しておくと、自分が学んだのは「難しい」ということじゃない。「本当に、本当に難しい」、ここだ。

そうするうちに、ある日、自分はもう完全にゼロだ、と気がついてしまった。
仕事にも、会社にも、仲間にも情熱を持つことができない。ただ何かの義務感、あるいは惰性のようなもので会社と自宅を往復しているだけの状態。
その頃は開発のリーダーという立場だったのだが、そのことに気がついて自分から社長に一介の社員にしてほしい、と願い出ることにした。
それから何も言わずに一週間の休みがほしい、とも。

まだ話は続くが、長くなったのでまた次回

SIer出身のエンジニアが自社サービスに転職するために必要な"スキル"

ここしばらくは本当にクソ忙しく、というかこの1年くらいずっとクソ忙しかったのでブログをほったらかしでした。

というか、ブログに書きたいネタはいっぱいあったし、「あ、このことブログで書いちゃおうかな」とか思ってもあまりに当事者感が強いとけっこうセンシティブな話題も多いので、ブログで書くのも憚られるというか、だったら増田で書けよとか思わんでもないけど、「それはオレの信条じゃねーし」となるのでやっぱり書かない、みたいな。

はい、以上、言い訳終わり。

まあ、またブログを書きたくなったのは気になる記事を読んだから。

【ITエンジニア】SIerで求められる人、自社サービスで求められる人 - paiza開発日誌

ご多分にもれずSIer業界から自社サービスに移ってきた身としては、この記事を読んで、大体「ふむふむ、そうだよな」という感想なんだけど、気になったのは"スキル"という言葉について。

SIerと自社サービスでは事業のゴールがまったく違うので、当然そこに辿り着く迄の行程、要はやらなければならないことが完全に変わってくる。なので、必要なスキルセットも変わってくる。ここまでは当然の理。
スキルとは、ほぼほぼイコールで経験と言えるので、身を置いている業界によって獲得できるスキルセットが違ってくるのもまた必然。

だからSIerブイブイ言わせていたエンジニアでも、自社サービスに転職しようとしたらスキルがマッチしない、というのは「そりゃそうだ」という話なわけですよ。

しかしながら、SIerのエンジニアの中には一定数の割合で
「客の言ったものをただ作るだけなんて飽き足らない! オレはもっと直接的にユーザのため、世の中のになるようなサービスをこの手で作り出したいんだあっっっっっ!!!」
という暑苦しい情熱とか義憤とかに燃えている方もいらっしゃるわけで、やはりというか当然というか私もまたそんな一人だったわけなので、ただスキルが違うんです、と言われたって、じゃあどうすりゃいいのって話なわけですよ。

ついでに言うと、最近は私自身が採用にも関わるようになっておりまして、そんな私が面接するときに「そろそろ自社サービスをやりたいと思いまして・・・」等と言っちゃう方を目前にした時の、何とも言えない甘酸っぱさ。

そういう人はまた、圧倒的な技術力があるわけでもなく、かといって、自分ですでに何かを作り始めようとしているわけでもない、という場合が多いので、どうしてもお断りさせていただくことになる訳ですけども、そういった方の「こういうことはしたい。でも、何をしていいか分からない」的なオーラを感じたときのやるせなさったらない訳で。

違うのですよ。そもそもの発想が。

最初に変えなくてはならないのはスキルじゃない。マインドセットなんですよ。

スキルとマインドセット、それぞれの言葉をググると、大体以下のような感じ。

スキル(すきる)とは - コトバンク

一般的には、訓練を通じて身に付けた能力のことで、技能とほぼ同義で用いられる。

マインドセット(まいんどせっと)とは - コトバンク

経験や教育、その時代の空気、生まれ持った性質などから形成されるものの見方や考え方を指す言葉です。信念や心構え、価値観、判断基準、あるいは暗黙の了解や無意識の思い込み、陥りやすい思考回路といったものもこれに含まれます。

じつは、上記の説明にはスキルとマインドセットのもっとも重要な違いが書かれていない。

スキルを獲得するのには時間がかかる。
マインドセットはそうではない。
それは変えようと思えば、その日からでもすぐに変えられる。少なくとも理屈の上では。
※まあ、実際には人間の価値観やら考え方がそう簡単に変えられるなら、この世の不幸の95%くらいは削減できるんじゃないかと思うが、その点は一旦措く。

では、どのように変えなければならないのか?

それはめちゃくちゃ簡単にいうと、いったんゼロになること、だと思うんですよ。

前述のとおり、SIerと自社サービスではビジネスゴールは異なるし、そこで必要となるスキルセットも違う。要はパラダイムが完全に違う訳ですよ。
パラダイムが違うのだから、SIerとしてはそれまで正しい、うまくいくと思っていたことが通用しないこともある。というか、そんなんばっかし。

なので、自分の経験をいったんゼロリセットしつつ、それまで考えもしなかった領域についても学びつつ、なおかつ、中途の場合はそれだけだとはっきり言って価値が出ないので、それまで経験の中でも使えそうな部分(結局はプログラミングスキルとか)を駆使しつつ、凌いでいくしかないわけです。

なんで、SIerのキャリアの延長線上みたいな気持ちで転職活動しても上手くいくはずがなく、むしろゼロから再出発する、少なくともキャリア価値がいったんは半分くらいになる、くらいの気持ちでいたほうが良いと思うんですよね。
というか、それくらいの覚悟がないと、あまりにやることなすことが違いすぎるので、転職しても心が折れますので。

何度でもゼロに立ち戻って始められる人って強いじゃないですか。
下手なプライドを持たず、未知の状況を受け入れ、すべてを学びに転換しながら前進できる人。

言葉を変えると、これは「失敗できる能力」とも言えるんじゃないかと。

自社サービスをやっている人に失敗しない人はいないし、むしろ「失敗しないように」しすぎると、もっとも大事なスピード感がなくなってしまうので、多少の失敗は恐れずにガンガンやっていくくらいの気持ちが必要です。

といっても、何度やっても学びがない人はいつまでたっても前進しないのでNGですが。

・・・ちなみに、私もつい先日バリカンの操作を失敗しまして、頭髪すべてを零ミリ射撃で剃り落す、という失態を犯してしまいました。以後、このようなことがないよう海よりも深く反省する次第です。
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冗談はさておき。

今までの自分を投げ捨て、新しい状況に立ち向かう覚悟が備わっている人。そして、つねに学ぼうという姿勢を失なわず、また実際に学び続ける人。
※そういう人は大抵、もうすでに自分で何かしらのサービスを考えていたり、あるいは実際に手を動かしてサービスを作ってしまっていたりするんですが。

そんな人であれば、必要なスキルなんて後からいくらでもついてきますって、絶対。

ま、そんなわけで、弊社でもただいまエンジニアを絶賛募集中です。www.wantedly.com

多少の障害などモノともせず、ともにばく進できる方のエントリーをお待ちしております!

スタートアップの"生産性"という幻影、または希望について

 久々のブログ更新です。

 つい、先日のこと。

「これからイケてる会社のエンジニアを紹介するぞ!
 私の大好きなスタートアップ企業をたくさん集めて勉強会を開くのだ!
 もしも貴様がそこでナイスな発表ができたなら・・・
 貴様は兵器になる! スタートアップに祈りを捧げる死の司祭だ!
 だが、その日まではウジ虫だ!
 口でクソたれる前と後で”YES!”と言えっ!
 わかったか、このウジ虫がッ!!」

と、会社の人事兼広報担当(女性)からハートマン軍曹ばりの命令が下ったのでした。

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 「急成長スタートアップにおけるDeveloper Productivity向上の実例」 〜アカツキ × Wantedly × Sansan × じげん × Talknote〜 - Startup Tech Talk | Doorkeeper

 しかも、テーマが"Developer Productivity”ですと!?
 なんだ、その日本人の短い舌を思い切り噛みちぎりそうな英単語は!?

 大体、あれだ。そもそも、スタートアップの世界に確たる”生産性(Productivity)"なんて存在するのか?
 その昔、まだSIerの現場で働いていた頃、「もっと生産性を!」と耳がタコができるほど言われ続けてきた身としては、ITの開発現場において安直に生産性を語ることには抵抗感を覚えるわけですよ。

 昔なつかしの大量生産時代、車やらラジオやらの製品であれば、その価値をユーザに届ける手段は単純に製品をその手に送り届けるしかないわけで、そりゃあ単位時間あたりにどれだけ製品が生み出せるか、という効率性ないし生産性、すなわち『おら、もっと速く、安く、大量に作りやがれ!』的な概念が幅を効かせたのも当然でありましょう。

 だがしかし。 ITの世界ではプログラマの書いた、たった一回かぎりのソースコードが、数千、数万、数億オーダーの人々に価値提供を行える可能性を秘めている訳で。
 しかも、その価値(ユーザ自身の体験を含む)はWebやらゲームやらOSSやらコピペやらを通じて、簡単かつ大量に複製、伝達、再生産することができてしまう。

 そんな世界で
「我々は今月、10人のチームで3万行のコードを書くことができましたっ!!(感涙)
 来月はさらに全力を尽くし、6万行を達成しますっ!! うおおおおっ!!(血涙)」
などと気炎を上げてみても、それが本質的でないのは火を見るよりも明らか。

 それでも開発請負の現場だと割とそれに近いことを要求されることがあって、
 ※だからこそ「こちらは何年モノですか?」というような古いソースコードが延々とコピペして使われたりするわけで
 以前、なんとか品質も維持しながら開発の速度を上げようとして、アレコレやったときの経験からすると、いわゆる生産性と創造性って、下手すると反比例する傾向があるんですよね。
 つまり、ただ"生産性"という名のレールに乗っている人ばかりを増やし、その一方では自分の足で歩き、時につまずきながらも前進して創造しようとする人を邪魔者扱いしてしまったりするわけです。

 納期やら、リソースやら、クライアントやら、WBSやら、進捗会議やら、目を吊り上げて怒れるマネージャーやら、といった大人の諸事情により、

「何、おまえ勝手なことをやってんだよっ!
 それより明日までにこのバグを直しとけっ!」

みたいなことが時に発生してしまうのが現実世界の悲しさですけども、ソフトウェア開発における生産性って、

 プログラマが創造性や問題解決に向き合うための時間的、精神的余裕を生み出す

 ただこの目的を果たすための従属的な役割しかないわけですよ、本来は。

 そんなわけで単純な開発効率を意味する生産性だけを云々するのは(特に、スタートアップの開発現場では)あまり意味がないな、と考えた結果、次のような天邪鬼なタイトルで勉強会に望んだのでした。

 「カオス! スタートアップはカオスなんですよ!」と強調しまくったので、やたらとウケましたw
 下手するとDeveloper Productivityは置き去りになる勢いだったけども。

 勉強会で印象的だったのは、自分だけではなく似たような方向性(たとえば企業文化の作り出し方とか、認識の共有の仕方とか)の話を持ってきた方が他にもいたこと。
 ※Wantedlyの相川さん、三三の藤倉さん
 みんな、わりと同じようなことで悩んだり、考えたりしてるのだなー、と。 
 
 ともあれ、ここ数ヶ月くらい自分でアレコレ考えたり、試したりしてきたことをこうしてアウトプットすることができたのは何とも嬉しいし、他の会社がどんなことを考えて開発しているのか知ることができて、本当にハッピーでした・・・、などと優等生的な締めで終わらせるのも癪なので、最後に一言だけ毒舌しておくと、
 
 「いやー、ウチの開発は本当に生産性が低くて・・・」と、ほざいてるマネジャー。
 テメーのマネジメントがクソなんだよ、クソ!
 (※後頭部に突き刺さるブーメラン)
 
 はい、お後がよろしいようで。

一緒に働くエンジニアについてゆずれない、3つの条件(+1)

 最近、ウチの会社ではエンジニアを募集してます。
 というか、もうホントに手が足らん。やらなきゃならんことが大杉ですわ。

 こーゆーとき「猫の手も借りたい」と言いたいところではありますが、もちろんエンジニアなら誰でもいいってことでは全然ありません。正直もう少し妥協したほうが間口が広がっていいんじゃないか、とも思うんですが、個人的にも会社のステージ的にも一緒に働くならば「こーゆー人がいい!」という条件が自分の中ではわりと明確にあるのですよ。

 逆に言ったら、この条件さえ満たしていたら、猫でも古代ローマ人でも個人的にはかまわないわけです。いや、むしろ猫や古代ローマ人だったら私は超絶ウェルカムです。
 もしも興味を持ったエンジニア、または猫、および古代ローマ人はぜひともこちらのページから応募していただきたい。

 [Webエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5202
 [Androidエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5119
 [iOSエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5200

 というわけで、私が「こういうエンジニアと一緒に働きたい」と思う条件について、以下に書き記しておこうと思います。

自分よりスゴい力がある

 私は26歳位の頃、止むに止まれぬ事情のため、ほとんど未経験の状態からプログラミングを始めました。当時はプログラミングはおろかExcelすらも使えなかったほどで、ITリテラシー、何それ、美味しいの?という状態。

 しかし、いざ勉強を始めてみるとプログラミングの面白さ・楽しさに大いにハマり、当時はお金がまるでなかったので、ノートPCならぬ大学ノートをいつも持ち歩くようにようにして、暇さえあれば鉛筆と消しゴムでC言語のコードをひたすら紙の上に書き込んでいく、というなんとも非効率的な方法で勉強しておりました。
 四六時中プログラミングのことを考えるあまり、C言語ソースコードがそのまま夢の中に出てきたり。それくらいプログラミングに夢中だったし、(精神的にもキーボード的にも)打ち込んだわけ。

 自分の性に合ってたってのも大きいけど、何しろイロイロな事情で切羽詰まっていたので、必死に勉強したし、また自身の偏執狂的な性格も相まって上達も速いほうだったと思います。

 が、しかし。
 その程度の努力・実力などかすんでしまうような、もっと若い頃から努力と情熱を傾けてプログラマの高みへと上り詰めたようなスゴい人たちがこの世界にはゴマンといらっしゃる訳ですよ、当然ながら。
 イチイチ例を挙げようとは思いませんが、そういった人たちを見るにつけ、何とも言えない敗北感・焦燥感をこれまで幾度となく味わい、その度に水平線に沈む夕陽に向かって全力疾走し、ヤクザに刺されたドテっ腹から吹き出す血を押さえつつも、「なんじゃあ、こりゃああああ!!」と大声で叫びたくなるんですよ、ええ。

 これまでの人生、そんな風に自分をコテンパンにしてくれるような人に出会うたび、
 「自分の存在価値ってなんだろう?」
 という不安と恐怖がないまぜになった気持ちを味わい、次に「自分にはこいつのマネはできない。なら、自分だからこそ発揮できる価値とは何だろう?」という、ある種の開き直りに似た諦観、自問自答、そしてヤケクソのような闘争心が呼び起こされて、それを原動力にして私はコレまで前に進んできたのでした。なにしろ、私、天邪鬼ですからね。
 
 というわけで、プログラマとしての実力とか、頭の良さとか、目標の高さとか、そういった何かで「こいつには敵わない」と思えるようなスゴい人が側にいないと、誰よりも私自身が困るのですよね。
 私自身がもっともっと前に進むために。

チームとして行動し、成果に貢献する

 個人として行動することと、チームとして行動することの間には、それはもう一万光年くらいの大きな隔たりがあります。
 って、そんなの当たり前、と思われるかもしれませんが、コレ、時に個人としてのプレーヤーの能力が高い人ほど、そもそもそんな認識を持ってなかったりするので、世の中なんとも油断がなりません。

 ときどき「強い人を集めれば、強いチームが生まれる」的な考え方を持っている人に出くわしますが、ぶっちゃけ、そいつはソフトクリームのように甘い幻想だと思うのですよ。人間って、そんなに簡単なものでしたっけね?

 ただのスキルセットの組み合わせではチームは作れないし、みんなが仲良しだからと言って良いチームが生まれる訳でもない。たとえ、一人一人が「今日、自分は誰にも負けない仕事をした」と思っていたとしても、チームとして機能しなければ、結局は全体的で、徹底的な成果ってのは生み出せない。そして、チームとしてもっとも重要なことは、この「全体的で徹底的な」成果であって個人の成果じゃない。

 という訳で、自分一人の成果を上げることに汲々とするよりも、チームとして成果を上げるために行動し、それを楽しむことが出来る人と、私は一緒に仕事がしたいのです。

高い理想とモラルを兼ねる

 まず第一に、理想が低い人は論外ですね。話していても楽しくないし、目線が低いから努力もしない。だから大抵の場合、実力も備わっていない。

 逆に「この人、スゴいぜ!」って思う人ほど理想が高いし、当たり前のように高い目標を掲げてそのためにすごい努力をしている。
 だから時に不相応とも思えるような、高い理想を持っていることってすごく大事だと思う訳ですよ。

 ここまでは当然として、その次に問題になるのがモラルという点。
 いや、これって別に「社会のルールはきちんと守りましょう」的な、小学校の道徳の授業に出てくるような話じゃないんですよ。むしろ新しい価値を作り出そうとする場合、既存のルールやら枠組みやら価値観やらを破壊しなけりゃならないことも多い訳で、一般常識やら固定概念やらに縛られていると、自らの手足を縛ることになりかねない。

 何かしらの規範から逸脱しないことがモラル的である、と考えている人もいるけど、自分の理解はそうじゃない。むしろ時には集団から抜け出すような主体性を持っていないと、達成できないのがモラルだと思うんですよ。逆に言えば、集団に埋没している人は別にモラルが高いわけじゃなく、みんながそうしているからそうするだけのこと。
 
 集団に没する人よりはたとえ個人的な欲望であっても野心を持ち、己の努力・知力・行動力で勝負している人のほうがはるかに好ましいと思う訳ですが、ただ1つだけ自分が譲れないのは、このモラル、より明確に言うならば、他者への想像力を持ち合わせているかどうか、という点。

 すべての人間は本質的には利己主義であり、自分の利益や安全を最優先に行動する。そして、それ自体は別に責められるべきことでも何でもない、と私は思っているんですよね。ただ、他者への想像力を持ち合わせている者だけが、時に、自分と他者、自分と世界とを区別せずに行動する、それだけのことだと思う訳です。(ちなみにこーゆー発想は、その昔に傾倒したフロイトユングの影響によるもの。分かる人にはバレバレだろうなw)

 我々の会社がやろうとしているのは、コミュニケーションという領域なので、自分以外の人間への想像力を持てない、他人に興味を持てない、人に共感することが出来ない人はもうその時点でミスマッチなんですよね

 顧客を理解し、良質なユーザ体験を提供すること。
 チームの仲間を信頼し、協力してゴールを目指すこと。
 そこに厳としてあるもの、これこそモラルだと思うんですが、如何でしょうか?

変態である(おまけ)

 コレが最後にして、もっとも重要な条件と言っても過言ではありません(大マジ)。
 とにかく、優秀なエンジニアはすべて変態である、というのが私の持論。異論は認めません。

 変態でなければ、どうして何時間も延々とプログラムを書いていられるのか。どうしてクラス名をひとつ考えるためだけに机に突っ伏し、空襲に備えるかのように頭を抱え、数分うめき声を上げて苦しむのか。どうしてスパゲティを見ると、「Fxxx!」と叫びたくなるのか。なぜこれほどまでにツンデレを愛するのか。
  
 エンジニアは変態であり、優秀であればあるほど、その病巣は深い。
 これ以上の真理を、私は他に思い浮かべることができません。

 その心に、決して世には認められない空想を溜め込み、日常社会では決して解消することのできない情念を叩き付けるようにコードを書く奴らこそ、創造性の固まりであり、明日を生み出す者であり、変態という名の紳士なのですよ。

「変態でなければ生きてはいけない。紳士でなければ生きている意味が無い」
フィリップ・マーロウ (嘘)

 というわけで、我をも凌ぐ変態でなければ、私は仲間とは認めませんよ、ええ。
 さあ来たれっ! アミーゴッ!!
 

"コミュニケーション"は全体最適のための手段という考えかた

最近、なかなかブログを書く気になれなかったんですが、思うところがあってまた筆を取・・・、いや、MacBookAirを開くことに。
なにしろ、ここのところずっと考えていたことの大半は、おもに仕事の状況やらのアレコレだったので、あまり外向けのブログに書くようなことじゃなかったわけでございます。
いや、当たり障りのないことを書こうと思えば書けたんでしょうが、そんなことに脳細胞の数パーセントでも振り分けるなんて、時間の無駄、人生の無駄以外の何物でもないじゃありませんか。

でも最近は、(少なくともブログとして書ける程度には)頭がだいぶ整理されてきたので、その辺り、自分の心のバックアップも兼ねて書き留めておこうと思い立った今日この頃。

自分たちが開発しているサービス、Talknoteは「いい会社をつくる」ことをモットーにした社内向けコミュニケーションツールなわけですが、じゃあどうやってコミュニケーションから「いい会社」を作るのか、この"どうやって"の部分について、もっと深堀りしていく必要があると前々から感じていたわけです。

もちろん、この点については社内でも前から議論はあり、それなりに衝突もあった訳ですが、その甲斐もあってココ最近ようやく自分でも腹落ちできるほどに言語化できたのが、まさに表題のソレ。

ぶっちゃけ「いい会社」ってだけじゃ、あまりに漠然としていてそのままでは空をつかむようなキーワードですからね。
たとえばTalknoteを使って会社内の雰囲気が良くなるとする。それがゴールなのか?と問われると、やはりノーと答えざるを得ない。なぜなら会社ってのは社会に価値を提供することと引き換えに利益を生み出す、という大前提があるわけで、それを抜きに「いい会社」を語ることはナンセンスでしかないわけです。
社長や社員のみんなが和気藹々と仲良く仕事をしているけど、万年赤字の会社。そんなの、リアリティありませんからね。

と言って、たとえば社内の雰囲気はギスギス・ドロドロで、社員は毎日残業ばかりでも給料はスズメの涙、でも会社としての業績は絶好調って会社が「いい会社」なはずもない。
(ま、リアリティという面では、これほど現実味のある話もないところが人生の愉快なところではありましょうが)

自分個人の思想としてはそういった会社を安直に「ブラック会社」と断じることに抵抗を感じるのだけど、まあ、その手の会社は、結局は組織が脆弱のままという点と、人間性に対する理解やらセンスやらが欠如しているという点で、未来はそう明るくはないだろうとは考える次第。

Talknoteを使って顧客はどうやって「いい会社」を手に入れるのか?
やれ業務の効率化だ、いやインナーブランディングだ、とかそーんな議論がこれまでも何度かウチの会社内で沸き起こったりもしたんですが、結局「コレだ!」と言えるような結論がなかなか出てこなかったんですよねえ。

たしかに業務の効率が上がることは悪いことじゃないし、社員が会社のことを好きになって、一丸となって仕事ができることも大切なことです。

でも結局、我々がやりたいことは、そのうちのどれかひとつではない。

立場も価値観も違う人々が集い、共通の目的のために「会社」という複雑なシステムを作り上げる。そういった物をブーストしようってのがウチらのサービスの理念なのに、ある特定の立場の人の利用目的を満たすことや、特定の利用シーンだけにフォーカスするってのは何か違う気がする訳ですよ。ま、そうしたほうがサービス作りとしてはいろいろと割り切れて楽なんですけどもね。

というわけで表題の「全体最適」な訳ですよ。
業務の効率化にしろ、インナーブランディングにしろ、それは部分最適であって全体最適じゃない。部分最適を追求すると、時に全体最適を損なうことがあるってこと、組織の上のレイヤに関わっている人なら当然わかっていることですが、Talknoteというサービスが提供するべき本質的な価値はコレなんだ、と気がついた時、思わず「おー」と自分でも驚きの声が漏れたんですな。それまでずっと考えてきたことが頭の中でパパパっと一本の紐で結ばれたような、そんな感じ。

コミュニケーションによって「いい会社」を作るとはどういうことか。言い換えるとそれは、会社がその社会的目標を達成するための全体最適をコミュニケーションの円滑化によって生み出す、ってことになるわけです。
全体最適、という言葉はまだ多分に抽象性を含んでいるので、現実の製品なり、施策なりに落とし込むためにはさらにブレイクダウンを重ねる必要がありますが、進むべき道はコレだ!という確信はもはや揺るぎありません。
社員満足度を高めたり、業務の効率を高めたりすることも、結局は会社全体を最適化するための一手段としてあるわけで、それ自体が目的なわけじゃない。
人と人が相互に関わり合うことが前提の組織において、全体最適を実現しようとする際に必ず必要となるもの。それこそ、コミュニケーションというものじゃないかしらん。
(これは会社という単位だけでなく、国家とか、社会とかの次元でも同じことが言えるけども)

しかし、この前提に立つと、サービス作りは自ずと困難を極めること請け合いです。
なぜならば会社ってのは本当に千差万別だし、それぞれの全体最適に至る道筋も当然バラバラ。我々のたったひとつのサービスでそれらに立ち向かうってんですから。

でもま、困難であったとしても不可能ではない、というのが自分の考えですけどね。
この辺りをどう突破していくのか、まさに今いろいろと試行錯誤中ではあるので、もう少ししたらまたブログに書くかも。

ともあれ、これからもまだまだ楽しめそうだ、この人生はさ!