IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

とあるベンチャーのひどい真実とこれからのこと・その1

ブログを数年ぶりに書くことにした。

前回書いたのが2年前の9月。今日までの間、何度か書こうとも思ったけど精神的に無理だった。
悪いことが現在進行形で起こっている最中にそれを文章にして再確認をするなんて、正直とても耐えられるものじゃない。

それでも今になって文章にしようと思ったのは、やはりここ数年で起こったことを自分なりに整理をつけたいと思った、というのが理由としてひとつある。理由はもうひとつあるが、それは後で書く。

なにも嵐が過ぎ去ったから、というわけではなくて、むしろまだど真ん中なわけだが、ひとまず現状を記録しておきたい、という欲求に駆られて久しぶりに自分の言葉をキーに打ち込んでいるというわけだ。

その前に前提条件。
知っている人は知っているが自分はあるベンチャー企業でエンジニアとして働いていて、入社して今年で4年目になる。

まあ、ぶっちゃけて言うと散々な4年間だった。

まず自分が入社してからしばらくもしないうちに、次々に人がやめていった。
それも必ず社長の側にいる人からやめていく。

それぞれが皆、すごく優秀な人たちばかりで、だからこそ社長は信頼して自分のパートナーのように扱い、責任のある仕事をまかせるのだけど、これがまあ悉く上手くいかない。

まずお互いのコミュニケーションがまったく噛み合わない。
同じ部屋にいて同じ日本語を話しているはずの二人なのに、傍目から見ていると、さながら防音ガラスの壁で互いに隔離されているような有様だった。

結局、お互いに「なんで自分の言うことを分かってもらえないんだろう」というフラストレーションを抱えたまま、関係性が壊れていく。
で、離職。

そんなこんなで自分は当時5人目くらいの社員だったのに、あれよあれよと言う間に最古参ということになってしまった。
ちなみにウチの社内では、自分はいまや41歳にしてすっかりモーロク爺さんキャラが定着している。ジジイとフジイだ。いや、別にそんなことはどうでもいい。

ともあれ入ったばかりの会社で離職が相次ぎ、まさに崩壊の危機。
当時、ウチの社長もひどく悩んだようだ。
話は変わるが、ウチの社長はわりと男前の顔立ちをしていて、世間一般の基準から見ても外見はいいほうだろう。本人もプロフィールに堂々と"イケメン"と書き込むくらいだが、正直、自分にはこういう神経がわからない。
で、当時はその社長の顔が顔面神経症みたいにヒクヒクするのをよく見た。不随意運動というやつだ。

そして、ついには社長を辞める、と言い出した。
そのことについて社長に意見を求められたので、自分は「あ、辞めたほうがいいっすね」と答えた。
ガチに悲しい顔をされた。

結局、社長はやめずに自分の代わりに組織をマネジメントをしてくれる人を外部から連れてくることにした。
自分にはマネジメントはできない、代わりに経営チームを作り、協力体制を築いて会社を引っ張っていこうとしたのだ。
が、これもそれほど時間もたたないうちに雲行きが怪しくなった。

この頃の会社の雰囲気は最悪で、全体的にみんなの顔が暗かった。そして業務量が急激に増え始め、とにかく忙しいのに成果として結びついている実感がさっぱり、という状態がずっと続いた。

ちなみに雰囲気が悪いとか、顔が暗い、などというのは自分の解釈に過ぎないので、何よりもそう見えた自分の心理状態が最悪だったんだろうと、今になって思う。

仕事の量も正確には、自分が必要性を感じない、雑用と思えるような仕事が増えただけで、労働時間が増えた、というわけじゃなかった。
むしろ入社した直後は休日も仕事をしていたので、単純な労働時間でいえば改善傾向にあったと言えるけど、それでもなんとも息の詰まるような忙しさが自分の心を押し潰していくような気持ちだった。

また、この頃は入社しても数ヶ月もすると退職してしまう人が何人もいた。
ひどい話だが、新しく入社してきた人が最初の挨拶でどんなことを話すのか、その内容を聞いて「あ、こいつは数ヶ月もするとやめてしまうだろうな」とか「あ、こいつはしばらくは持ちこたえそうだな」なんてことを当時の自分は心の中で値踏みしていた。真面目そうだったり、大人しそうだったり、当たり障りのなさそうな内容で挨拶する人は、大体みな消えていく。

そんな自分もその頃から何度も"退職"の二文字が頭をよぎるようになった。
以前ベンチャーという難易度の高い環境の中で、あまりにあっさりと諦めてしまったことを後悔してきたこともあって、今度はそう簡単に諦めない、とずっと思ってはいるのだが、それでも毎日毎日何かしら「めんどくせー、もう辞めちまうか」と思うような出来事に遭遇するのだ。
もう辞めるか、それとも、もう少しだけ続けようか。そんな自問自答をひどい時には15秒に1回くらいは繰り返していた気がする。

ある時、自社の株を買うかどうか決める時も、嫁さんに二人の貯金からお金を出してもらう必要があって「大丈夫! 会社は絶対辞めないから!」と大見得を切って納得してもらった。自分としては辞めない理由を一つでも多く作りたかったという気持ちがあったのだが、1ヶ月もしないうちに「もうオレは会社をやめる! 明日、社長に話してくる!」と言い出して、嫁さんがカンカンになる、という出来事もあった。

もちろん、そんな状況でも毎日元気に仕事をしたり、なんとなく馴染んでしまう戦国時代向きの人もいたけど、人がなかなか増えなかったり、むしろ辞めていってしまう、というのは事業的にも、個人的・精神的にもストレスの多い状況だった。

そういったストレスの源泉は、やはり経営する人たちの体制が上手く機能していなかったことにあると思う。
なぜ機能しなかったのか? 自分もチームの隅に置かせてもらっていたので、他人に責任を押しつけて文句をいう気にはなれないが、一言で言えばチームの中で本当の意味での協力体制、信頼関係といったものが構築できなかった、というのがずっと状況を見ていて、自分なりに考えて出した結論だ。

ある意味で救いがないのが、そこにいる人々が皆それぞれで会社の状況をなんとかしたいと真剣に考え、悩んでいたということだ。悩んでいた度合いで言ったら、自分なんか会社の下から数えたほうが早い、とさえ思えるくらいだ。それほどまで皆が真剣に考えているのに、会社全体でみると足取りがバラバラで、中にいる人たちをこれほど苦しめてしまう、というのは中々に悲劇的と言っていいと思う。

この数年間で自分にとって最も大きな学びは、シビアな状況の中にあってはどれほど優秀であったり、情熱がある人々であったとしても真に信頼関係のチームを作り出す、というのは本当に、本当に難しい、ということだ。

強調しておくと、自分が学んだのは「難しい」ということじゃない。「本当に、本当に難しい」、ここだ。

そうするうちに、ある日、自分はもう完全にゼロだ、と気がついてしまった。
仕事にも、会社にも、仲間にも情熱を持つことができない。ただ何かの義務感、あるいは惰性のようなもので会社と自宅を往復しているだけの状態。
その頃は開発のリーダーという立場だったのだが、そのことに気がついて自分から社長に一介の社員にしてほしい、と願い出ることにした。
それから何も言わずに一週間の休みがほしい、とも。

まだ話は続くが、長くなったのでまた次回