IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

SIer出身のエンジニアが自社サービスに転職するために必要な"スキル"

ここしばらくは本当にクソ忙しく、というかこの1年くらいずっとクソ忙しかったのでブログをほったらかしでした。

というか、ブログに書きたいネタはいっぱいあったし、「あ、このことブログで書いちゃおうかな」とか思ってもあまりに当事者感が強いとけっこうセンシティブな話題も多いので、ブログで書くのも憚られるというか、だったら増田で書けよとか思わんでもないけど、「それはオレの信条じゃねーし」となるのでやっぱり書かない、みたいな。

はい、以上、言い訳終わり。

まあ、またブログを書きたくなったのは気になる記事を読んだから。

【ITエンジニア】SIerで求められる人、自社サービスで求められる人 - paiza開発日誌

ご多分にもれずSIer業界から自社サービスに移ってきた身としては、この記事を読んで、大体「ふむふむ、そうだよな」という感想なんだけど、気になったのは"スキル"という言葉について。

SIerと自社サービスでは事業のゴールがまったく違うので、当然そこに辿り着く迄の行程、要はやらなければならないことが完全に変わってくる。なので、必要なスキルセットも変わってくる。ここまでは当然の理。
スキルとは、ほぼほぼイコールで経験と言えるので、身を置いている業界によって獲得できるスキルセットが違ってくるのもまた必然。

だからSIerブイブイ言わせていたエンジニアでも、自社サービスに転職しようとしたらスキルがマッチしない、というのは「そりゃそうだ」という話なわけですよ。

しかしながら、SIerのエンジニアの中には一定数の割合で
「客の言ったものをただ作るだけなんて飽き足らない! オレはもっと直接的にユーザのため、世の中のになるようなサービスをこの手で作り出したいんだあっっっっっ!!!」
という暑苦しい情熱とか義憤とかに燃えている方もいらっしゃるわけで、やはりというか当然というか私もまたそんな一人だったわけなので、ただスキルが違うんです、と言われたって、じゃあどうすりゃいいのって話なわけですよ。

ついでに言うと、最近は私自身が採用にも関わるようになっておりまして、そんな私が面接するときに「そろそろ自社サービスをやりたいと思いまして・・・」等と言っちゃう方を目前にした時の、何とも言えない甘酸っぱさ。

そういう人はまた、圧倒的な技術力があるわけでもなく、かといって、自分ですでに何かを作り始めようとしているわけでもない、という場合が多いので、どうしてもお断りさせていただくことになる訳ですけども、そういった方の「こういうことはしたい。でも、何をしていいか分からない」的なオーラを感じたときのやるせなさったらない訳で。

違うのですよ。そもそもの発想が。

最初に変えなくてはならないのはスキルじゃない。マインドセットなんですよ。

スキルとマインドセット、それぞれの言葉をググると、大体以下のような感じ。

スキル(すきる)とは - コトバンク

一般的には、訓練を通じて身に付けた能力のことで、技能とほぼ同義で用いられる。

マインドセット(まいんどせっと)とは - コトバンク

経験や教育、その時代の空気、生まれ持った性質などから形成されるものの見方や考え方を指す言葉です。信念や心構え、価値観、判断基準、あるいは暗黙の了解や無意識の思い込み、陥りやすい思考回路といったものもこれに含まれます。

じつは、上記の説明にはスキルとマインドセットのもっとも重要な違いが書かれていない。

スキルを獲得するのには時間がかかる。
マインドセットはそうではない。
それは変えようと思えば、その日からでもすぐに変えられる。少なくとも理屈の上では。
※まあ、実際には人間の価値観やら考え方がそう簡単に変えられるなら、この世の不幸の95%くらいは削減できるんじゃないかと思うが、その点は一旦措く。

では、どのように変えなければならないのか?

それはめちゃくちゃ簡単にいうと、いったんゼロになること、だと思うんですよ。

前述のとおり、SIerと自社サービスではビジネスゴールは異なるし、そこで必要となるスキルセットも違う。要はパラダイムが完全に違う訳ですよ。
パラダイムが違うのだから、SIerとしてはそれまで正しい、うまくいくと思っていたことが通用しないこともある。というか、そんなんばっかし。

なので、自分の経験をいったんゼロリセットしつつ、それまで考えもしなかった領域についても学びつつ、なおかつ、中途の場合はそれだけだとはっきり言って価値が出ないので、それまで経験の中でも使えそうな部分(結局はプログラミングスキルとか)を駆使しつつ、凌いでいくしかないわけです。

なんで、SIerのキャリアの延長線上みたいな気持ちで転職活動しても上手くいくはずがなく、むしろゼロから再出発する、少なくともキャリア価値がいったんは半分くらいになる、くらいの気持ちでいたほうが良いと思うんですよね。
というか、それくらいの覚悟がないと、あまりにやることなすことが違いすぎるので、転職しても心が折れますので。

何度でもゼロに立ち戻って始められる人って強いじゃないですか。
下手なプライドを持たず、未知の状況を受け入れ、すべてを学びに転換しながら前進できる人。

言葉を変えると、これは「失敗できる能力」とも言えるんじゃないかと。

自社サービスをやっている人に失敗しない人はいないし、むしろ「失敗しないように」しすぎると、もっとも大事なスピード感がなくなってしまうので、多少の失敗は恐れずにガンガンやっていくくらいの気持ちが必要です。

といっても、何度やっても学びがない人はいつまでたっても前進しないのでNGですが。

・・・ちなみに、私もつい先日バリカンの操作を失敗しまして、頭髪すべてを零ミリ射撃で剃り落す、という失態を犯してしまいました。以後、このようなことがないよう海よりも深く反省する次第です。
f:id:fujiitakuya:20150914185245j:plain


冗談はさておき。

今までの自分を投げ捨て、新しい状況に立ち向かう覚悟が備わっている人。そして、つねに学ぼうという姿勢を失なわず、また実際に学び続ける人。
※そういう人は大抵、もうすでに自分で何かしらのサービスを考えていたり、あるいは実際に手を動かしてサービスを作ってしまっていたりするんですが。

そんな人であれば、必要なスキルなんて後からいくらでもついてきますって、絶対。

ま、そんなわけで、弊社でもただいまエンジニアを絶賛募集中です。www.wantedly.com

多少の障害などモノともせず、ともにばく進できる方のエントリーをお待ちしております!

スタートアップの"生産性"という幻影、または希望について

 久々のブログ更新です。

 つい、先日のこと。

「これからイケてる会社のエンジニアを紹介するぞ!
 私の大好きなスタートアップ企業をたくさん集めて勉強会を開くのだ!
 もしも貴様がそこでナイスな発表ができたなら・・・
 貴様は兵器になる! スタートアップに祈りを捧げる死の司祭だ!
 だが、その日まではウジ虫だ!
 口でクソたれる前と後で”YES!”と言えっ!
 わかったか、このウジ虫がッ!!」

と、会社の人事兼広報担当(女性)からハートマン軍曹ばりの命令が下ったのでした。

 f:id:fujiitakuya:20140831233144p:plain
 「急成長スタートアップにおけるDeveloper Productivity向上の実例」 〜アカツキ × Wantedly × Sansan × じげん × Talknote〜 - Startup Tech Talk | Doorkeeper

 しかも、テーマが"Developer Productivity”ですと!?
 なんだ、その日本人の短い舌を思い切り噛みちぎりそうな英単語は!?

 大体、あれだ。そもそも、スタートアップの世界に確たる”生産性(Productivity)"なんて存在するのか?
 その昔、まだSIerの現場で働いていた頃、「もっと生産性を!」と耳がタコができるほど言われ続けてきた身としては、ITの開発現場において安直に生産性を語ることには抵抗感を覚えるわけですよ。

 昔なつかしの大量生産時代、車やらラジオやらの製品であれば、その価値をユーザに届ける手段は単純に製品をその手に送り届けるしかないわけで、そりゃあ単位時間あたりにどれだけ製品が生み出せるか、という効率性ないし生産性、すなわち『おら、もっと速く、安く、大量に作りやがれ!』的な概念が幅を効かせたのも当然でありましょう。

 だがしかし。 ITの世界ではプログラマの書いた、たった一回かぎりのソースコードが、数千、数万、数億オーダーの人々に価値提供を行える可能性を秘めている訳で。
 しかも、その価値(ユーザ自身の体験を含む)はWebやらゲームやらOSSやらコピペやらを通じて、簡単かつ大量に複製、伝達、再生産することができてしまう。

 そんな世界で
「我々は今月、10人のチームで3万行のコードを書くことができましたっ!!(感涙)
 来月はさらに全力を尽くし、6万行を達成しますっ!! うおおおおっ!!(血涙)」
などと気炎を上げてみても、それが本質的でないのは火を見るよりも明らか。

 それでも開発請負の現場だと割とそれに近いことを要求されることがあって、
 ※だからこそ「こちらは何年モノですか?」というような古いソースコードが延々とコピペして使われたりするわけで
 以前、なんとか品質も維持しながら開発の速度を上げようとして、アレコレやったときの経験からすると、いわゆる生産性と創造性って、下手すると反比例する傾向があるんですよね。
 つまり、ただ"生産性"という名のレールに乗っている人ばかりを増やし、その一方では自分の足で歩き、時につまずきながらも前進して創造しようとする人を邪魔者扱いしてしまったりするわけです。

 納期やら、リソースやら、クライアントやら、WBSやら、進捗会議やら、目を吊り上げて怒れるマネージャーやら、といった大人の諸事情により、

「何、おまえ勝手なことをやってんだよっ!
 それより明日までにこのバグを直しとけっ!」

みたいなことが時に発生してしまうのが現実世界の悲しさですけども、ソフトウェア開発における生産性って、

 プログラマが創造性や問題解決に向き合うための時間的、精神的余裕を生み出す

 ただこの目的を果たすための従属的な役割しかないわけですよ、本来は。

 そんなわけで単純な開発効率を意味する生産性だけを云々するのは(特に、スタートアップの開発現場では)あまり意味がないな、と考えた結果、次のような天邪鬼なタイトルで勉強会に望んだのでした。

 「カオス! スタートアップはカオスなんですよ!」と強調しまくったので、やたらとウケましたw
 下手するとDeveloper Productivityは置き去りになる勢いだったけども。

 勉強会で印象的だったのは、自分だけではなく似たような方向性(たとえば企業文化の作り出し方とか、認識の共有の仕方とか)の話を持ってきた方が他にもいたこと。
 ※Wantedlyの相川さん、三三の藤倉さん
 みんな、わりと同じようなことで悩んだり、考えたりしてるのだなー、と。 
 
 ともあれ、ここ数ヶ月くらい自分でアレコレ考えたり、試したりしてきたことをこうしてアウトプットすることができたのは何とも嬉しいし、他の会社がどんなことを考えて開発しているのか知ることができて、本当にハッピーでした・・・、などと優等生的な締めで終わらせるのも癪なので、最後に一言だけ毒舌しておくと、
 
 「いやー、ウチの開発は本当に生産性が低くて・・・」と、ほざいてるマネジャー。
 テメーのマネジメントがクソなんだよ、クソ!
 (※後頭部に突き刺さるブーメラン)
 
 はい、お後がよろしいようで。

一緒に働くエンジニアについてゆずれない、3つの条件(+1)

 最近、ウチの会社ではエンジニアを募集してます。
 というか、もうホントに手が足らん。やらなきゃならんことが大杉ですわ。

 こーゆーとき「猫の手も借りたい」と言いたいところではありますが、もちろんエンジニアなら誰でもいいってことでは全然ありません。正直もう少し妥協したほうが間口が広がっていいんじゃないか、とも思うんですが、個人的にも会社のステージ的にも一緒に働くならば「こーゆー人がいい!」という条件が自分の中ではわりと明確にあるのですよ。

 逆に言ったら、この条件さえ満たしていたら、猫でも古代ローマ人でも個人的にはかまわないわけです。いや、むしろ猫や古代ローマ人だったら私は超絶ウェルカムです。
 もしも興味を持ったエンジニア、または猫、および古代ローマ人はぜひともこちらのページから応募していただきたい。

 [Webエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5202
 [Androidエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5119
 [iOSエンジニア] https://www.wantedly.com/projects/5200

 というわけで、私が「こういうエンジニアと一緒に働きたい」と思う条件について、以下に書き記しておこうと思います。

自分よりスゴい力がある

 私は26歳位の頃、止むに止まれぬ事情のため、ほとんど未経験の状態からプログラミングを始めました。当時はプログラミングはおろかExcelすらも使えなかったほどで、ITリテラシー、何それ、美味しいの?という状態。

 しかし、いざ勉強を始めてみるとプログラミングの面白さ・楽しさに大いにハマり、当時はお金がまるでなかったので、ノートPCならぬ大学ノートをいつも持ち歩くようにようにして、暇さえあれば鉛筆と消しゴムでC言語のコードをひたすら紙の上に書き込んでいく、というなんとも非効率的な方法で勉強しておりました。
 四六時中プログラミングのことを考えるあまり、C言語ソースコードがそのまま夢の中に出てきたり。それくらいプログラミングに夢中だったし、(精神的にもキーボード的にも)打ち込んだわけ。

 自分の性に合ってたってのも大きいけど、何しろイロイロな事情で切羽詰まっていたので、必死に勉強したし、また自身の偏執狂的な性格も相まって上達も速いほうだったと思います。

 が、しかし。
 その程度の努力・実力などかすんでしまうような、もっと若い頃から努力と情熱を傾けてプログラマの高みへと上り詰めたようなスゴい人たちがこの世界にはゴマンといらっしゃる訳ですよ、当然ながら。
 イチイチ例を挙げようとは思いませんが、そういった人たちを見るにつけ、何とも言えない敗北感・焦燥感をこれまで幾度となく味わい、その度に水平線に沈む夕陽に向かって全力疾走し、ヤクザに刺されたドテっ腹から吹き出す血を押さえつつも、「なんじゃあ、こりゃああああ!!」と大声で叫びたくなるんですよ、ええ。

 これまでの人生、そんな風に自分をコテンパンにしてくれるような人に出会うたび、
 「自分の存在価値ってなんだろう?」
 という不安と恐怖がないまぜになった気持ちを味わい、次に「自分にはこいつのマネはできない。なら、自分だからこそ発揮できる価値とは何だろう?」という、ある種の開き直りに似た諦観、自問自答、そしてヤケクソのような闘争心が呼び起こされて、それを原動力にして私はコレまで前に進んできたのでした。なにしろ、私、天邪鬼ですからね。
 
 というわけで、プログラマとしての実力とか、頭の良さとか、目標の高さとか、そういった何かで「こいつには敵わない」と思えるようなスゴい人が側にいないと、誰よりも私自身が困るのですよね。
 私自身がもっともっと前に進むために。

チームとして行動し、成果に貢献する

 個人として行動することと、チームとして行動することの間には、それはもう一万光年くらいの大きな隔たりがあります。
 って、そんなの当たり前、と思われるかもしれませんが、コレ、時に個人としてのプレーヤーの能力が高い人ほど、そもそもそんな認識を持ってなかったりするので、世の中なんとも油断がなりません。

 ときどき「強い人を集めれば、強いチームが生まれる」的な考え方を持っている人に出くわしますが、ぶっちゃけ、そいつはソフトクリームのように甘い幻想だと思うのですよ。人間って、そんなに簡単なものでしたっけね?

 ただのスキルセットの組み合わせではチームは作れないし、みんなが仲良しだからと言って良いチームが生まれる訳でもない。たとえ、一人一人が「今日、自分は誰にも負けない仕事をした」と思っていたとしても、チームとして機能しなければ、結局は全体的で、徹底的な成果ってのは生み出せない。そして、チームとしてもっとも重要なことは、この「全体的で徹底的な」成果であって個人の成果じゃない。

 という訳で、自分一人の成果を上げることに汲々とするよりも、チームとして成果を上げるために行動し、それを楽しむことが出来る人と、私は一緒に仕事がしたいのです。

高い理想とモラルを兼ねる

 まず第一に、理想が低い人は論外ですね。話していても楽しくないし、目線が低いから努力もしない。だから大抵の場合、実力も備わっていない。

 逆に「この人、スゴいぜ!」って思う人ほど理想が高いし、当たり前のように高い目標を掲げてそのためにすごい努力をしている。
 だから時に不相応とも思えるような、高い理想を持っていることってすごく大事だと思う訳ですよ。

 ここまでは当然として、その次に問題になるのがモラルという点。
 いや、これって別に「社会のルールはきちんと守りましょう」的な、小学校の道徳の授業に出てくるような話じゃないんですよ。むしろ新しい価値を作り出そうとする場合、既存のルールやら枠組みやら価値観やらを破壊しなけりゃならないことも多い訳で、一般常識やら固定概念やらに縛られていると、自らの手足を縛ることになりかねない。

 何かしらの規範から逸脱しないことがモラル的である、と考えている人もいるけど、自分の理解はそうじゃない。むしろ時には集団から抜け出すような主体性を持っていないと、達成できないのがモラルだと思うんですよ。逆に言えば、集団に埋没している人は別にモラルが高いわけじゃなく、みんながそうしているからそうするだけのこと。
 
 集団に没する人よりはたとえ個人的な欲望であっても野心を持ち、己の努力・知力・行動力で勝負している人のほうがはるかに好ましいと思う訳ですが、ただ1つだけ自分が譲れないのは、このモラル、より明確に言うならば、他者への想像力を持ち合わせているかどうか、という点。

 すべての人間は本質的には利己主義であり、自分の利益や安全を最優先に行動する。そして、それ自体は別に責められるべきことでも何でもない、と私は思っているんですよね。ただ、他者への想像力を持ち合わせている者だけが、時に、自分と他者、自分と世界とを区別せずに行動する、それだけのことだと思う訳です。(ちなみにこーゆー発想は、その昔に傾倒したフロイトユングの影響によるもの。分かる人にはバレバレだろうなw)

 我々の会社がやろうとしているのは、コミュニケーションという領域なので、自分以外の人間への想像力を持てない、他人に興味を持てない、人に共感することが出来ない人はもうその時点でミスマッチなんですよね

 顧客を理解し、良質なユーザ体験を提供すること。
 チームの仲間を信頼し、協力してゴールを目指すこと。
 そこに厳としてあるもの、これこそモラルだと思うんですが、如何でしょうか?

変態である(おまけ)

 コレが最後にして、もっとも重要な条件と言っても過言ではありません(大マジ)。
 とにかく、優秀なエンジニアはすべて変態である、というのが私の持論。異論は認めません。

 変態でなければ、どうして何時間も延々とプログラムを書いていられるのか。どうしてクラス名をひとつ考えるためだけに机に突っ伏し、空襲に備えるかのように頭を抱え、数分うめき声を上げて苦しむのか。どうしてスパゲティを見ると、「Fxxx!」と叫びたくなるのか。なぜこれほどまでにツンデレを愛するのか。
  
 エンジニアは変態であり、優秀であればあるほど、その病巣は深い。
 これ以上の真理を、私は他に思い浮かべることができません。

 その心に、決して世には認められない空想を溜め込み、日常社会では決して解消することのできない情念を叩き付けるようにコードを書く奴らこそ、創造性の固まりであり、明日を生み出す者であり、変態という名の紳士なのですよ。

「変態でなければ生きてはいけない。紳士でなければ生きている意味が無い」
フィリップ・マーロウ (嘘)

 というわけで、我をも凌ぐ変態でなければ、私は仲間とは認めませんよ、ええ。
 さあ来たれっ! アミーゴッ!!
 

"コミュニケーション"は全体最適のための手段という考えかた

最近、なかなかブログを書く気になれなかったんですが、思うところがあってまた筆を取・・・、いや、MacBookAirを開くことに。
なにしろ、ここのところずっと考えていたことの大半は、おもに仕事の状況やらのアレコレだったので、あまり外向けのブログに書くようなことじゃなかったわけでございます。
いや、当たり障りのないことを書こうと思えば書けたんでしょうが、そんなことに脳細胞の数パーセントでも振り分けるなんて、時間の無駄、人生の無駄以外の何物でもないじゃありませんか。

でも最近は、(少なくともブログとして書ける程度には)頭がだいぶ整理されてきたので、その辺り、自分の心のバックアップも兼ねて書き留めておこうと思い立った今日この頃。

自分たちが開発しているサービス、Talknoteは「いい会社をつくる」ことをモットーにした社内向けコミュニケーションツールなわけですが、じゃあどうやってコミュニケーションから「いい会社」を作るのか、この"どうやって"の部分について、もっと深堀りしていく必要があると前々から感じていたわけです。

もちろん、この点については社内でも前から議論はあり、それなりに衝突もあった訳ですが、その甲斐もあってココ最近ようやく自分でも腹落ちできるほどに言語化できたのが、まさに表題のソレ。

ぶっちゃけ「いい会社」ってだけじゃ、あまりに漠然としていてそのままでは空をつかむようなキーワードですからね。
たとえばTalknoteを使って会社内の雰囲気が良くなるとする。それがゴールなのか?と問われると、やはりノーと答えざるを得ない。なぜなら会社ってのは社会に価値を提供することと引き換えに利益を生み出す、という大前提があるわけで、それを抜きに「いい会社」を語ることはナンセンスでしかないわけです。
社長や社員のみんなが和気藹々と仲良く仕事をしているけど、万年赤字の会社。そんなの、リアリティありませんからね。

と言って、たとえば社内の雰囲気はギスギス・ドロドロで、社員は毎日残業ばかりでも給料はスズメの涙、でも会社としての業績は絶好調って会社が「いい会社」なはずもない。
(ま、リアリティという面では、これほど現実味のある話もないところが人生の愉快なところではありましょうが)

自分個人の思想としてはそういった会社を安直に「ブラック会社」と断じることに抵抗を感じるのだけど、まあ、その手の会社は、結局は組織が脆弱のままという点と、人間性に対する理解やらセンスやらが欠如しているという点で、未来はそう明るくはないだろうとは考える次第。

Talknoteを使って顧客はどうやって「いい会社」を手に入れるのか?
やれ業務の効率化だ、いやインナーブランディングだ、とかそーんな議論がこれまでも何度かウチの会社内で沸き起こったりもしたんですが、結局「コレだ!」と言えるような結論がなかなか出てこなかったんですよねえ。

たしかに業務の効率が上がることは悪いことじゃないし、社員が会社のことを好きになって、一丸となって仕事ができることも大切なことです。

でも結局、我々がやりたいことは、そのうちのどれかひとつではない。

立場も価値観も違う人々が集い、共通の目的のために「会社」という複雑なシステムを作り上げる。そういった物をブーストしようってのがウチらのサービスの理念なのに、ある特定の立場の人の利用目的を満たすことや、特定の利用シーンだけにフォーカスするってのは何か違う気がする訳ですよ。ま、そうしたほうがサービス作りとしてはいろいろと割り切れて楽なんですけどもね。

というわけで表題の「全体最適」な訳ですよ。
業務の効率化にしろ、インナーブランディングにしろ、それは部分最適であって全体最適じゃない。部分最適を追求すると、時に全体最適を損なうことがあるってこと、組織の上のレイヤに関わっている人なら当然わかっていることですが、Talknoteというサービスが提供するべき本質的な価値はコレなんだ、と気がついた時、思わず「おー」と自分でも驚きの声が漏れたんですな。それまでずっと考えてきたことが頭の中でパパパっと一本の紐で結ばれたような、そんな感じ。

コミュニケーションによって「いい会社」を作るとはどういうことか。言い換えるとそれは、会社がその社会的目標を達成するための全体最適をコミュニケーションの円滑化によって生み出す、ってことになるわけです。
全体最適、という言葉はまだ多分に抽象性を含んでいるので、現実の製品なり、施策なりに落とし込むためにはさらにブレイクダウンを重ねる必要がありますが、進むべき道はコレだ!という確信はもはや揺るぎありません。
社員満足度を高めたり、業務の効率を高めたりすることも、結局は会社全体を最適化するための一手段としてあるわけで、それ自体が目的なわけじゃない。
人と人が相互に関わり合うことが前提の組織において、全体最適を実現しようとする際に必ず必要となるもの。それこそ、コミュニケーションというものじゃないかしらん。
(これは会社という単位だけでなく、国家とか、社会とかの次元でも同じことが言えるけども)

しかし、この前提に立つと、サービス作りは自ずと困難を極めること請け合いです。
なぜならば会社ってのは本当に千差万別だし、それぞれの全体最適に至る道筋も当然バラバラ。我々のたったひとつのサービスでそれらに立ち向かうってんですから。

でもま、困難であったとしても不可能ではない、というのが自分の考えですけどね。
この辺りをどう突破していくのか、まさに今いろいろと試行錯誤中ではあるので、もう少ししたらまたブログに書くかも。

ともあれ、これからもまだまだ楽しめそうだ、この人生はさ!

"不確実"に立ち向かうためのチーム・コミュニケーションの話

考えの整理をかねて久々のブログ更新。

最近よく考えていることのひとつに、組織なり集団なりで不確実な状況で意思決定を行うためのコミュニケーションとはどのように行われるべきか、ということがありますが、これって企業なら(不確実な状況には事欠かないベンチャー企業の場合は特に)必ずついて回る問題じゃないかしらん。

例えば、ある朝ベッドで目覚めると、突如として私の頭の中でドーパミンがドパドパとあふれ返り、天啓のごとく素晴らしいアイデア(と、自分では思っている)が舞い降りてきたとしましょう。で、ただちにチームの仲間たちに向かって自分の超絶Coolなアイデア(と自分では確信している)を意気揚々と披露する訳ですよ。

でも、

オレ「やあ、みんな! この素敵なアイデアを聞いてくれ! これさえあれば問題解決。顧客もオレたちもハッピーになれるぜ!」
チームの仲間たち「ワオ、君ってなんてCoolなんだ!! すぐにでもそれに取りかかろう!!」

・・・とはならないですよね、当然。

このアイデアの部分を、企画とか、戦略とか、何かしら不確実性を前提としたものに置き換えてもらえれば、似たようなシーンってわりと企業内で発生しうると思うんですがいかがでしょう。

仮に自分一人で行動しているのであれば、そのアイデアを実際に試してみて上手くいくかどうか好き勝手に試してみればいいわけです。
まあ大抵の場合、無惨に失敗するでしょうが、個人の責任の範囲ならばいくら失敗しようが誰にも迷惑はかかりませんしね。

でも、チームとして行動する場合、ことはそう簡単ではなく。
大抵はチームメンバの皆様から「なぜそのアイデアが有用なのか」から始まり、「どれくらいコストがかかるのか」「そもそも実現できるのか」といった質問が情け容赦もなく浴びせかけられることになるはずです。

こういった質問に真摯に答えていくことは必要だし、そこから発生する議論もアイデアをブラシアップするためには有用なものではあるんですが、その反面、一見するとバカげたようなアイデアを潰しがちになるので、議論を積み重ね、尖ったアイデアを磨き続けた結果、カドが全部取れて奇麗に丸くなりました、って結果を生み出すことにもなりかねない。
議論をどんなに重ねても結局、最後は「やってみないとわからない」という結論に行き着くので、だからやってみる必要があるわけですが、実際に行動に移すってことは、チームのリソースを消費するってことでもあるので、それなりにコンセンサスを取らなくてはそもそもチームとして動かすことができない。
で、ここで発生するのが「説得」という作業。

そもそもそのアイデアが有用なのか、発案者の本人を含め誰も分かっていない。
そして、手痛い失敗をすることも当然ありうる。
しかし、自分一人では実現できないので、チームメンバーに協力してもらう必要がある。

こういった状況で、チーム内ではどのようなコミュニケートを行うべきか。
もしも独裁的なリーダーであれば「うるさい! 黙ってやれ!」と命令すれば済むことかもしれませんが、そういったマネジメントスタイルは一時的には効果を発揮しても、組織的、長期的に考えるとむしろ弊害の方が多いと思うので、そもそも選択肢には入れません。

考えられる一般的な方法としては出来る限りポジティブが根拠を示して、相手の理解を得ようとする努力することだけども、50名100名の組織ならともかく、10人以下のチームで、しかもタイム・イズ・マネーがそのまま宿命となるようなスタートアップ企業じゃ、そんな説得作業に時間や労力が消費されることは許されないわけですよ。

で、こういった不確実なことを素早く、かつチームとして実践するためには、そもそも説得が発生しないための仕組み作りが必要なんじゃないかと。

ざっと思いつくポイントは下記の三つ。

・不確実なことをする必要がある、という共通の理解。つまりは、リスクテイクへの理解。
・限られたリソースを不確実な目的に割り当てるためのルール。
・その実行結果の共有(失敗した場合を含めて)

たとえばGoogleの有名な20%ルールは、こういった問題意識に端を発していて、その結果として制度化されたものではなかったかとも思えてくるんですよね。(最近じゃ、20%ルールはやらないらしいけど)

エリック・リースの「リーン・スタートアップ」では実験を素早く行い、素早く学ぶことの大切さが書かれていたけども、あの本を読んだだけではチームとしてどう行動すべきかまではわかりません。

あるいは、その辺りの問題を解決するためには、ルールを作ることではなく、”文化"を生み出すことが必要なのであって、一冊の本では到底書き切れん問題なのかもしれませんけども。
ましてや、ブログの1エントリではとてもとても(笑)

というわけで、思索の尽きない秋の夕べでございました。
どっとはらい

データ・ドリブンと『燃えよドラゴン』的ドリブンの黄金比について

最近、平日の仕事中はがーっとプログラムばかり書いていて、一日の終わりには目はしょぼしょぼ、血が上りすぎて頭が重い、もうPCの画面なぞ見たくないってモードになり、休日も大体そんな調子だったのであまりブログを書く気分じゃなかったんですが、ひさびさに書きたい欲求がふつふつと沸き上がってきたので、ひさびさに休日もMacBookAirを開くことに。
中年プログラマー37歳、とある夏の日の出来事でございます。

最近、弊社トークノートではもっとデータを見ていこう、お互いにデータを示し合いながら議論していこう、という気運が高まっていて、そのためにMixPanelを本格的に導入したり、Google Analyticsのイベントを入れこんだり、とあれこれ数値を取る機会がこれまで以上に増えてきました。

f:id:fujiitakuya:20130908105143p:plain
※MixPanelを導入したら太平洋をはるばる超えて、サンフランシスコからCoolなTシャツが送られてきました。「I AM DATA DRIVEN 」思わず感動。

今日のスタートアップ企業においては、データで思考する、というのは言わばイロハのイであって、出来ていて当たり前、出来ていなければ・・・言うなれば飛行機が視界ゼロ、計器一切なしという状態で操縦されているようなものです。
刻一刻と状況が移り変わり、不確実性の強い現代社会において、そんな状態のスタートアップ企業は早晩墜落するのがオチでしょう。

それに、データがないとチーム内で議論をしていてもどうしても空中戦になりがちで、何時間かけても有意義な結論が得られません。
お互いに「自分はこう思う」という感性同士をぶつけ合い、言葉はすれ違い、人間一人一人の感性なんて最初から違っているので、いつまでたっても平行線が解消されない。
で、どちらかが折れて「そんなに言うなら、あんたの言う通りにやるよ(オレは反対だけどな!)」という一応の決着になるんだけど、片方にはただ不満が残るから、チームとしての一体感が損なわれる。

コレが繰り返されると、「あいつにはいくら言っても話が通じない」という心の壁が生まれていくわけで、数人やそこらしかいないスタートアップでこの状態に陥ると、良くて機能不全、悪くすれば会社自体が崩壊しちまうんでございます。あー怖。

そんな状態を回避するためにもデータを元に考えたり、話したりすることがとても重要な訳です。
お互いにデータを示しながら話せば、たとえば
「君のアイデアは既存ユーザの活性化には役立ちそうだけど、今一番問題なのは新規ユーザの獲得コストなんだ。だからこちらの施策をするべきだ」
「いやいや、この施策は新規ユーザの獲得コストを下げるのに有効なんだよ。過去のデータを見ると、このときに一番口コミが生まれて新規ユーザが多かっただろ?」
という感じに、根拠のあるフィードバックを互いに示しつつ、建設的な議論が行えますから。
何より、お互いの意見の違いや感性の違いを、感情のしこりを残さずに相互補完的、発展的に解消していきやすい。
ワーオ! データ・ドリブンって素晴らしいぜ!!

とまあ、こう書くと良いことずくめのように聞こえますが、当然データ・ドリブンにも欠陥はあります。

最大の問題は、データ・ドリブンは企業の差別化要因を生み出しにくい、という点でしょう。
スタートアップ企業は当然ながら、人員も資金も認知度も、既存の企業に比べたらミジメなほど脆弱です。当然ながら、集められるデータの量・質にも限界があります。

一方、今日の大手企業でデータを軽視するようなクレイジーなヤツらはそうはいないでしょうから、やはり同様にデータ・ドリブンで、それも多くのデータの中からより質の高い情報を取り、より確度の高い施策に、より豊富なリソースをつぎ込むってことをやってくるわけです。
もしもスタートアップ企業にそんな競合相手が現れたら、勝者がどちらになるのか、火を見るより明らかでしょう。データなんかなくっても。
※ちなみに弊社トークノートの競合相手は、SalesforceやらMicrosoftやらと、某漫画の四皇並に強大無比な面々が揃っております。うーん、エンジョイ&エキサイティング!!

飛行機の例に戻ると、計器をしっかり見据え、目的地までひたすら安全に飛行していればそれでいい既存企業と、墜落を回避しながらも空中三回転ばりのアクロバティック飛行を決めなければ勝利がおぼつかないスタートアップ企業ではそもそもとして前提条件が違うので、ただデータ・ドリブンであるだけでは不十分です。

むしろ普通の企業が「まさかそんなのムリに決まってる」とか「収支に見合うわけがない」と思うようなことを実際にしでかして、新たな道筋を"発明"してやる必要がどうしてもあるわけで、そういった道筋を見つけ出すためには、固定観念から逸脱して柔軟に発想していくことと、数多くの実験を繰り返す以外にない。

このとき、アイデアを発想していくフェーズと、それを実際に実験して評価していくフェーズがある訳ですが、アイデアを発想していくフェーズで既存のデータに過度に縛られたり、データがないからと言って新しいアイデアをしりぞけたりしてしまうと、スタートアップが本来的に必要としている逸脱を生み出すことができなくなってしまいます。

時には人間的な直感や感性が新たな道を切り開く可能性もあるってことを理解した上で、データ・ドリブンとは別にそういった行動原理も配分よく取り込んでいく必要があると思うんですよね。
言うなれば「考えるな、肌でつかめ」的ドリブン。『燃えよドラゴン』風味のブルース・リー駆動でございます。

f:id:fujiitakuya:20070608134542j:plain
※『考えるな、肌でつかめ』と言っていた頃のブルース・リー。在りし日の思い出。

ただし、ブルース・リー駆動で生み出されたアイデアというものは概して極端に成功確率が低いし(当たり前だ!)、感性というものはその性質上、自らを言語的に説明する能力を持たないので、前述の通りチーム内のコミュニケーションでも問題を生みやすい。そのため、この配分には慎重を要しますが。

何の根拠もありませんが、個人的には2割か1割はブルース・リー駆動で動く余地を残しつつ、残りはきっちりデータ・ドリブンで意思決定していくくらいのバランスがスタートアップにはちょうどいいんじゃないかしらん。
ブルース・リーがあまりに強くなりすぎると、まさに死亡遊戯。截拳道(ジークンドー)のあまりの暴れっぷりに、我らのフライトは墜落を免れません。
といって、これがまったくのゼロになると、すっかり丸くなったブルース・リーがスクリーンの中でのんびりお茶をすすっている、なんとものどかでクソつまらない映画みたいなスタートアップ企業の出来上がりですよ。なんだ、お前は『ヴェニスに死す』かよ、ルキノ・ヴィスコンティかよ、クソ長くてクソ眠いんだよ、あの映画は!

・・・えー、ちょっと取り乱しましたが、
この辺りの黄金比を見つけ出すことが今日のすべてのスタートアップ企業においては急務であると、信ずるに至った次第です。

オレたちのチームは、その黄金比を見つけ出せるはずだ、と信じつつ、私はまた明日からの仕事に精を出すのでありました。
どっとはらい

ベンチャー企業の仮面の下の”理念"と寺山修司的中二病について

なぜ死なないのか、教えてやろうか? この仮面の下にあるのが『理念』だからだ。『理念』は死なない。~「Vフォー・ヴェンデッタ」~

最近ちょっとブログが止まってたけども、そろそろリハビリを。

トークノートという会社で働き始めてはや四ヶ月。もう四ヶ月。気がつけば夏。光陰矢の如し。まったく、知らぬ間に時間魔法の餌食になっていたとしか思えません。時よ止まれ、お前はほんとうに美しい!

とまあ、世迷い言はさておき。
この、トークノートという会社。社内コミュニケーションを良くするためのWebサービスを作ってます。
その理念は「いい会社をつくりたい」

最近、理念って大事だなあ、とつくづく思うようになりました。
もちろん、あらゆる企業にとって理念が大事なのは言うまでもないでしょうが、うちらのようなベンチャー企業の場合はさらに重要性が増すように思いますね。なにしろ、それが企業の「種」そのものじゃないか、という気がしているので。

このあたり断言できず歯切れが悪い言い方しかできないのは、自分がまだその種が育ち、大きく実ったという現実に立ち会ったことがないからですが(まあ、今まさに立ち会い途中だと思ってますけども)、ともあれ、企業が最初に掲げた理念が、その後に企業が成長した後の姿形・その企業風土さえ決めてしまうんじゃないか、という予感はそんなに外していない気がする。正確には、予感プラス人類の歴史的に。

そういう意味で、自分を含め今の会社のメンバーってほんとうに責任重大だなあ、と思う訳ですよ。
なにしろベンチャー企業なんて毎日が模索の連続だし、誰も正解なんて持っていないし、判断に迷うこと、不安になることなんていくらでもあるわけですが、それでも我々が今、安易な判断やら意思決定をしてしまえば、その結果っていうのは企業の後々にまで影響してくるわけですから。

ベンチャー企業ってのは、少なくとも最初のうちはもうクレイジーなくらいに理念的であったほうがちょうど良いのでは。

別に、理念が良ければ売り上げなんかなくっていい、というわけじゃなくて、その理念が正しく社会に貢献するものであれば、企業はその存在価値を失わないし、むしろその理念が行動原理となり、戦略原理となって結果的に企業は強く成長するはずだ、という理屈です。
ちょいと原理主義じみてる感もありますが、でもまあ、いわゆる中小企業と創業初期のベンチャー企業をわけるものってそこじゃないかな、と。

理念ってのは「人間は自由であるべきだ!」とか「男は強くあるべきだ!」とか「ミニスカ・ニーソで絶対領域だ!」といったある種の美意識やら理想論を少なからず含んでいるわけで、そういった意味ではどこか中二病的ですらあるわけですが、そういった青臭さみたいなものを企業からすべて脱臭してしまい、現実に過剰適応してしまうとその辺の飲み屋でひたすら酒を飲み管を巻きながら、若者に向かって「現実も知らないで何バカみたいなこと言ってんだ」と誰にも見向きもされない説教を垂れるような、つまらなーいおじさんみたいな会社になっちゃうんじゃないかしらん。

もちろんただの中二病が生き残れるほどベンチャー領域は甘くはありませんが、厳しくも困難な現実を前にして、なお「雨ニモマケズ風ニモマケズ」的理念を灯火のように高く掲げなくてはいけないな、と中二病歴が深く長かった私があらためて思うようになりましたよ。
病が深いのか、歴史が巡るのか。寺山修司、フォーエバー

まだ一度も作られたことのない国家をめざす
まだ一度も想像されたことのない武器を持つ
まだ一度も話されたことのない言語で戦略する
まだ一度も記述されたことのない歴史と出会う

たとえ
約束の場所で出会うための最後の橋が焼け落ちたとしても

~ 寺山修司『事物のフォークロア』~

理念から問いを発し、現実の中で答えを探す。
時には経験則を捨て、集団の逆を行く。

まあ、つまりは、初心忘れるべからず、ってことですかね。

というわけで、明日もまた楽しく理念的に仕事をしますか。
なぜなら楽しむこともまた、我々の理念なんだから。