IDEA and Players

ベンチャー企業で働く変なエンジニアが勝手なことを書きまくるブログ

非モテ系エンジニアがデザインとかUI/UXについて勉強してみた

先日、非モテ系エンジニアの身でありながらヒカ☆ラボのUI/UX勉強会に参加してきました。
ちなみに、私にはデザイナーのようにイケてるセンスはありません。むしろ、服装のセンスなど嫁から「この金正日がっ!!」と罵倒されるほどです。
しかし、最近スタートアップに関わる中でデザインとかUI/UXについて色々と思うところが出てきたので、今回の勉強会について振り返りながらその辺りをまとめてみたいと思います。

つくるべきモノをつくる、という話。そして、エンジニアの役目について

株式会社ジェネシックスの藤井幹大さん、坂田晃一さんが自分たちのお仕事をどのように進めているのか、かいつまんで話してくれたんですが、これがじつに実践的な内容でものすごく参考になりました。

特にデザインの進め方として、リーンスタートアップから取り入れた仮説検証のプロセスをぐるぐる回す、という話は、スタートアップ界隈の人間としては「おおっ!」という感じ。
UXデザイン定義書なるものに、まずは具体的なペルソナを決めて書くところなんか、一見するとコレは何かのお芝居の台本なのか、という印象でしたね。
だって人物像の定義に「ITベンチャーで働く総合職。そろそろ情報の発信源となって周りを引っ張っていく必要あり」とか書いてあるんだものw 誰だそれ?w

逆に言えば、そこまで具体的にユーザをイメージして、ユーザ側の課題は何か、ゴールは何か、ということを明確にしてから作るのがデザインなんだ、KPIを計測して自分たちが設計したとおりに機能していなければそれはデザインとして失敗なんだ、というプロ意識の現れなんだろうと理解したわけです。
なんだか「推測するな、計測せよ」という技術者の大命題が思い出されて、思わぬ親近感。

あと、特にスマホアプリの場合、ちょっとした動きも含めてユーザ体験なので、たとえばPhotoshopとかで動かない絵を描いてもそれがデザインにはならないんだ、という話には大いに共感しました。これ、今後はUIについてもエンジニアの責任というのが段々スタンダードになっていく(というより、もうなってる)という話なので、今まで「デザインに興味がない」などと言っていた技術者はけっこう大変になっていくだろうなー、という予感。
いや、自分もセンスはないんですけどw

そういえば、懇親会でお話を聞いた方々のお一人が、アプリの情報設計も実装も自分がやるけど、見た目のお化粧だけはデザイナーさんにやってもらう、と言っていたなー。「私の仕事は実装だけです」なんて、もはや言ってられないよなー、と切実に感じましたよ。

UI/UXって言葉が使われすぎているんじゃね?という話

次に、千葉工業大学の安藤先生がUI/UXDについて講演してもらったのですが、これまた面白かった。*1

あと、すいません、副題は若干嘘が入っていますw でも話にも出たし、最近、わりと自分もそう思う。

真っ先に自分の心をとらえた話題が、UXとUXDをごっちゃにするなってこと。
UXはユーザの個人的な体験。
UXD(User Experiense Designing)はユーザの体験を計画し、それを量産する仕組みを作ること。
やばい、モヤモヤしていたことが言葉でくっきりきっかり説明されるのってやっぱ気持ちがいいわー。

UXDにはたとえば製品がもたらす一時的な体験はもちろん、広報とかで生み出すサービスのイメージなども含まれる、という話を聞いて思わずウンウンとうなずき続ける自分。
この話を聞いたときに今は亡きSteve Jobsが繰り広げた、伝説の「Think different」キャンペーンも、長期的かつ量産的にユーザの体験を計画した、という意味でUXDだったんだなー、と妙に感動・納得したんですよね。

あと、UI/UXという言葉が商業的に消費されていることについて、安藤先生は懸念を示されていました。
その時に引き合いに出された話が、こちらの記事「UIの改悪がUXを改善させる場合」

この記事を読んだとき、自分は単純に「へー、そういう発想もあるのかー」と感心したくらいなんですが、安藤先生はUXの本来の意味を見失っている、と指摘されたんですよね。
「歩く距離を増やしたら、苦情が減った? だからUXが向上した? じゃあ、お年寄りに長い距離を歩かせるのが良いユーザ体験なの? 馬鹿なの?」
と、まあ本当はもっとご丁寧な口調だったんですが、昨今の言葉だけで中身が空の「UI/UX」には憤懣やるかたないご様子で。
このお叱りの言葉は、かなり胸に突き刺さりましたね。もっとユーザについて想像しろよ、数字なんかじゃなくてさ、と言われたみたいで。

「良い体験が何かということを想像できない人間が、他人の良質なユーザ体験を計画できるはずがない」
この言葉が、深い。

この話、最近スタートアップ界隈で流行りのリーンスタートアップなどの、ちゃんとKPIを計っていこう、データドリブンで方向性を見出そう、というアプローチに対して、そういったプロセスはもちろん大事だけども、そもそも到達しようとしているビジョンとか体験とかが抜け落ちたら、人間不在の、ただのデータ至上主義になっちゃうよ、と釘を刺されたように感じられて、心の中で「うおおおっ!!」となりましたよ。

さらに、UXDに携わるものには高い倫理観が求められる、とも仰っていたのが印象的でしたね。
たとえば、某サービスの退会手続きが複雑怪奇でめんどくさいのは有名な話ですが、倫理観がないと「退会者が少ない」=「優れたUI/UX」みたいな、傍目には絶対にありえないような結論にたどり着いちゃったりするわけですから。

他にも「UI/UXは二項対立的に語られる物ではない」とか「デザインとは、ユーザの無意識の期待に報いること」とか、言葉がいろいろと刺さりまくりましたよ。
ごっつぁんです。

最後に

この他にも、パネルディスカッションとか、いろいろと面白い話があったんですが、さすがに全部は書き切れません。
あと、五十嵐悠紀さんの3D技術を使ってぬいぐるみを作る話とかかなりスゴい発表もあったんですが、自分の勉強目的とは微妙にマッチしなかったので、スルーさせていただきました。
この場を借りて、講演をして下さった皆様と主催して下さったレバレジーズの皆様にお礼を申し上げます。

今回、あらためて考えたのは「デザインって何だろう?」ってことですね。

私は自身がプログラマーであるせいか、この世界の最小構成要素は「情報」だと思ってます。「情報」って言っちゃうと味気ないけど、そこにはお金とか、人間の感情とかも全部含まれているので、むしろエネルギーと表現した方がよいかも。経済学なんて、人間社会のエネルギー学みたいな印象があるし。

で、最近はなんだか、デザインって結局、そういった「エネルギー」とか「情報」を的確に伝えることじゃないかって思えてきたんですよね。こう書くと、なんか配管工事みたいだけど、人間とか社会とかを含めたシステムに対する理解がなければ仕事ができない点で違う。*2

プログラムを書くこともコンピューターという特定のシステムへの理解に依存したデザインであることには変わりはないし、たとえば街中を歩いていると、そこら中に誰かによって計画され、実際にデザインされたもので満ちあふれているわけで、自分の手で何かを作り出したいと切望している人間の一人として、デザインというのは本当に心が躍るテーマだなー、と思います。*3

そして、今回あらためて学んだことはこれ。
私たちみんながデザインして、連結された配管はどこにつながっているのか?
私たち、人間に、だったんですね。

*1:なお、安藤先生が講演で使用したスライドは、[http://www.slideshare.net/masaya0730/uiux15uxd-16215263:title=こちら]から見れます。

*2:あるいは、配管工のシステムに対する理解度は、デザイナーのそれと近い可能性もあるけど。

*3:ちなみに私のお気に入りのデザイン成果物は「コンビニ」です。アイデアとか流通の仕組みを含めてですが。